以前行った一万打リクエスト企画の嶺春です。大変大変お待たせ致しました…!

午前一時の来訪者

「……嶺二さん、今頃何をしているんでしょうか」
時刻は午前一時。
キリの良いところで仕事を切り上げ、就寝の身支度を整えた春歌はベッドの上に寝転がった。
天井を見上げて思い出すのは、しばらく会えていない愛しい恋人のことだった。

嶺二は現在、長期ロケで地方へ行っている。
合間を縫ってメールで連絡はしてくれるが、しばらく声を聞けていなかった。
テレビやラジオをつければ人気者の彼の姿は見られるのでそれを癒やしに過ごしたけれど、
そろそろ少しだけでもいいから声が聞きたい、と考えてしまう。

(でも、迷惑になってしまいますよね……)

ロケに向かう前、嶺二は「何かあったら電話してね。出られなくても絶対に折り返すから」と言ってくれてはいた。
しかし本人がそう言っていたからといって、素直に甘えられる器用さを春歌は持ちあわせていない。
甘えたい気持ちは山々でも、それよりも先に彼に迷惑がかかるのでは……という遠慮が出てきてしまうからだ。

(ロケも折り返し地点だってこの前教えてもらいましたし、もう少しの我慢ですっ)

自らを奮い立たせ、嶺二の事を思い浮かべながらそっと目を閉じる。

少ししてから、窓の外がやけに騒がしいことに気がついた。
風が強くなってきたのか、窓に何かがぶつかるような音がする。
急に天気が悪くなったのかと心配して、起き上がってカーテンを開けてみると――

「え……っ」

窓の向こうには、ここにいるはずのない彼の姿があった。

「れ、嶺二さんっ!?」

慌てて窓を開けると、嶺二は風と共に春歌へ近づく。
冷たい空気と共に彼の香りが漂ってきて、その懐かしさに涙がにじみそうになった。

(どうしてここに……? それに、いつもなら窓からじゃなくて、玄関からくるのに)

そこまで考えて、ある可能性に思い至る。

(これは、夢なんでしょうか)

嶺二にはまだ地方での撮影が残っているはずだし、急に帰ってくるなんて一言も聞いていない。
それに何度考えても窓から入ってくるなんておかしな話だ。

「うん、夢だよ」

春歌の心を読んだかのように、嶺二が口端を上げて穏やかな声音で諭す。
目の前にはいつもと変わらない優しい微笑みがあった。

「夢の中でも君に会えるなんて、幸せだなあ」

嶺二はそう言って春歌に腕を回し、肩口に顎を乗せた。
見慣れた茶色の髪が耳をかすめ、くすぐったさに身悶えながら彼の背中に手を添える。

「わたしも、幸せです」

落ち着いた心音が伝わってきて、自然と笑みが浮かぶ。

(これが本当に夢なら、少しわがままになっても大丈夫でしょうか……?)

嶺二の腕に収まっているうちに、小さな欲望が頭をもたげる。
普段なかなか言えないようなことを伝えても今なら許される気がして、
春歌は勇気を出して嶺二と視線を合わせた。

「嶺二さん」
「なぁに、春歌ちゃん」

少し掠れた声が、春歌の言葉の続きを促す。

「もっと強く、抱きしめて欲しいです」
「お安いご用だよ」

その言葉と共に抱きしめてくる力が強まる。
服越しに彼の温もりが伝わり、愛しさが胸の内から溢れた。

「他には何をして欲しい?」
「ええと……」
「ん?」

嶺二は春歌の顔を覗き込み、首をかしげる。
ゆっくりと言葉を紡ぐ口元に視線が引き寄せられるが、春歌はそっと俯いた。

(さ、さすがに、キスして欲しいなんて言えません……!)

いくら夢の中とはいえ、何でもかんでも言える勇気は持ち合わせていない。
口ごもっていると、唇へすらっとした指があてられた。

「この柔らかい唇は、夢の中でも我慢をしちゃうのかな?」

ふにふにと唇の感触を楽しむように、嶺二の指に力が入る。

「これは夢なんだ。夢の中でくらい、素直に甘えてよ」
「……じゃあ、あの……」

春歌は恐る恐る口を開いた。
ずっと彼に触れたかった。
今みたいに抱きしめるだけじゃなく――その先も、と願ってしまう。

「キス、したいです」
「……了解」

すっと目を細めた嶺二の顔が近づく。
唇に温もりが重ねられ、その熱で心拍数が上昇した。
夢にしては妙に生々しい感触で、もしかしたら本当に嶺二が目の前にいるのでは、とすら思う。

「……っ」

重ねていた唇が離れる。
ところが次に瞼を上げた時、そこに彼の姿は見当たらなかった。

「……嶺二さん?」

呼びかけても返事はなく、開いた窓からただ風が吹き込むだけだった。
ため息を吐きながら窓をしめ、元通りベッドに腰掛ける。

(やっぱり、夢だったんでしょうか?)

嶺二に会いたいと念じすぎて幻を生み出してしまったのかもしれないが、
それにしては随分としっかりとした感触が唇に残っていた。
抱きしめられた時の熱も、まだ体から消えてはいない。
温もりが消えてしまわないよう、自分の体を抱きしめる。

「……早く、会いたいです」

一人きりの部屋にぽつりと独り言を落とし、春歌は瞼を閉じた。


翌朝、もはや恒例となったおはようのメールを嶺二へ送る。
すると、数分後に返信が来た。

『春歌ちゃん、おはよっ。
 ロケ、もうちょっとで終わりそうだよ!
 早く君に会いたいな』
「嶺二さん……」

わたしも同じ気持ちですと返そうとして、手が止まる。
メールには続きがあり、春歌は画面をスクロールさせた。

『そういえば、昨晩不思議な夢を見たんだよね。
 ぼくが春歌ちゃんの部屋の窓から、君のとこにお邪魔するんだ』
「え……?」

文面に既視感を覚え、ぱちくりと瞬きをする。
その続きを読んで、春歌は驚きのあまり硬直してしまった。

『そしてそこには、いつも以上に甘えてくれる君がいて……
 なーんて夢を見たから、早く春歌ちゃんを抱きしめたくなっちゃった!
 ロケが終わったら、まっすぐにそっちに向かうね』
「偶然ですね、わたしも似たような夢を見ていました……っと」

口元を緩めながらメールを返し、携帯をとじた後、ふと一つの可能性に気づく。

(……まさか、本当に同じ夢を見ていたんでしょうか)

そう思うと、今になってふつふつと恥ずかしさがこみ上げてくる。
これは夢だと思い込んだおかげで、抱きしめて欲しいとかキスして欲しいとか、いつもはあまり言えない事を言ったのだから。

(ううん。でも、そんな事ありえませんよね)

自分に言い聞かせているうちに、携帯が震える。
確認すれば、案の定嶺二からの返信がきていて。

『本当? もしかして、ぼく達同じ夢を見てたのかもね。
 抱きしめて欲しいって言う春歌ちゃんがすごく可愛かったよ。
 現実でも、あんな感じで甘えてくれたら嬉しいな』

……なんということだ。
これでは本当に、まったく同じ夢を見ていたのではないか。
その場にしゃがみ込み、熱くなった頬をおさえる。

(は、恥ずかしい……!)

夢だからと欲望を素直に伝えるのではなかったと後悔する。
そして文末に加えられていた文字を見て、春歌は頬をこれ以上ないくらい赤くしたのだった。

『だからそっちに帰ったら、
 夢の中の君が望んだ通り、抱きしめてキスするね。
 他にもして欲しい事があったら、また夢で会った時に教えて――』