生理ネタですので苦手な方はご注意ください

薬指に誓いのキス

暖かい日差しが窓から差し込んでくる。
その日差しの下で、僕と絵麻はベッドに並んで座り、くつろいでいた。
「じゃあ、課題の山は越えられたんだ」
「はい。なのでまたしばらくはまったりできるかと」
「へぇ……。それなら今度、ゆっくりドライブにでも行こうか」
紅茶を飲んでどうでもいいような話をしながら、どちらからともなく手を絡ませる。
やがて無言の時間が訪れたら、それはキスの合図だった。
絡ませた指をぎゅっと握りつつ、絵麻の頬に手を添える。
最初は、唇同士が触れるだけの軽いキス。
次第に深いキスになっていくのだけど、絵麻はまだあまり深いキスに慣れていないようで。
苦しそうに息継ぎをしながら口づけに応える絵麻を、愛おしいと思いながら唇を重ねた。
「んっ……」
舌を口内へ滑り込ませると、彼女は少し苦しそうにして目尻に涙をにじませる。
その色香の漂う雰囲気に煽られ、僕はより一層絵麻に近づいた。

――もっと深くまで、彼女を味わいたい。

無意識のうちにそう考え、口づけの角度を変えながら絵麻を押し倒す姿勢へ入っていく。
彼女の頭に左手を添えて、右手は彼女の胸元へ。
服のボタンを一つずつ外し、かわいらしい下着を露わにする……つもりが、その右手は彼女によって遮られてしまった。

これまで「そういう事」をする時、拒まれた事はなかった。
だからこそ、予想外の出来事に僕は驚きを顔に出しすぎたのだろう、
僕を見た彼女もまた驚いたような表情をして、視線を横にずらした。
「ご、ごめんなさい」
「……あ、ううん。もしかして、どこか具合でも悪いの?」
「そういうわけでは……」
もう一度ごめんなさい、と謝る彼女に気にしないで、と微笑みかける。
(今はそういう気分じゃないのかもしれない)
触れ合えないのは残念だけど、彼女が乗り気じゃないのなら無理強いするのは良くない。

うつむく彼女を元気づけるように、僕は話を変えようとテレビのリモコンを手に取った。
「ね、実はこれから僕が吹き替えをした映画が始まるんだけど……。一緒に見ない?」
暗い表情から一転、絵麻は笑みを浮かべて「はい」と頷き、僕達はまったりと映画を楽しむことにした。


今にして思えば、このとき既に彼女の身体には異変が起きていたのだろう。
そういう気分ではないんだ、と軽く流さなければよかったと後悔をするのは、それからまた数日後のことだった。

   ***

今日も絵麻が僕の部屋に遊びに来ていた。

でも、今日の彼女は少し様子がおかしい。
やけにそわそわしているし、何かを尋ねても返事はどこか上の空だ。
熱でもあるのかと不安になったけど、どうやらそういうわけではないらしい。
「ねえ、もしかして何かあった?」
そう聞いてみると、絵麻の瞳が揺らいだ。
「え? いえ、特には」
……おかしい。
いつもなら何でもないです、と可愛らしい笑顔を浮かべるのに、今日は挙動不審になっている。
それはまるで僕に隠し事でもしているかのようだった。
声音に疑いを混ぜて、絵麻の手を握る。
「……嘘をつかないで。僕が気づかないとでも?」
「う……」
追求をしてみると、絵麻が気まずそうに口をつぐんだ。

やがて彼女は覚悟を決めたように、深呼吸をしてから僕に向き直る。
「じ、実は……遅れてて」
「えっ?」
一体何が遅れてるんだろう? と疑問が頭をもたげて、間抜けな声を出してしまう。
そんな僕を見た絵麻が声を震わせて、たどたどしく言葉の続きを発する。
「その……生理が、きてないんです。予定の日はもう過ぎているのに」
それきり下を向いてしまった絵麻に、僕の思考は完全に停止した。
フリーズした僕に対して、彼女は顔を真っ青にして悲しそうに下唇を噛んだ。
「あの、ごめんなさいっ。急に変なこと、言っちゃって」
「いや……大丈夫だよ」
口では大丈夫と言いつつ、僕は頭の中で様々な考えをよぎらせていた。

生理がきていない。

男にはいまいち実感のわかないことだけど、女性にとってはかなり重大なことだろう。
きていないということは、つまり――彼女の身体に、新しい命が宿っているかもしれないのだ。

……絵麻と触れ合う時は必ず避妊をしていたはずなのに、おかしいな。

そこまで考えて、内心首を振る。
(100%避妊できるって訳ではないんだった)
何らかのミスで、という可能性もある。
触れ合う以上こうなることもありえると分かっていたはずなのに、どうしても困惑してしまう。
彼女との間に子どもを授かるのは、とても喜ばしいことだ。
でも、まさか、と考えが堂々めぐりする。
「梓さん……」
不安そうな絵麻の視線を感じた時、自分の中で一つの問いが浮かんだ。

もし彼女に子どもができていたとして。
絵麻もその子も守っていくなんて、僕にできるんだろうか。

心の中で一瞬自問自答をしたけれど、答えなんて一つだ。
――愛しい彼女と授かった新しい命は、何があっても大切にしたい。

唯一心残りがあるとすれば、絵麻はまだ大学生なわけで。
学びたいことがあったとしても、出産のために休学や退学しなければならないかもしれない。
その点だけは、申し訳なく思う。
「絵麻」
「……はい」
絵麻はどういう返事をくるのか予想できず、緊張しているみたいだった。
膝の上で握った拳を、ぱっと見ただけでは気づかれない程度に震わせている。
(そうだ、僕よりも誰よりも不安なのは彼女だ)
恋人の僕がしっかりしないといけない。
そう思って、彼女の小さな手を包み込むように、ぎゅっと握った。

「明日にでも籍を入れようか。ああ、でもその前に麟太郎さんやキミのご両親にもご挨拶しないと」
母さんや雅兄達にも言わなきゃね。
僕がそう言うと、彼女は瞳から涙をこぼして頷いた。
水の流れた道を辿るように、人差し指で涙を拭う。
「僕がもっと早くに気づいてあげられればよかったね、ごめん」
「そんな! わたしも、もっと早く言えばよかったんです。もっと早くきちんと伝えていれば……この前も、梓さんを驚かせずに済んだのに」
その一言で、数日前の出来事を思い出す。
「もしかして、この前僕を拒んだのはそれが理由?」
尋ねてみると、絵麻がこくこく首を縦に振った。
(なるほど、だから珍しく拒絶されたのか)

不安そうな表情をしている絵麻の背を撫で、もう一度名前を呼ぶ。
「絵麻」
正面からじっと彼女の瞳を見据えて、覚悟を伝える。
「……キミも、キミの中に宿る命も。ずっと大切に、幸せにするから」
そして僕は、震える彼女の左手を持ち上げ、薬指にキスをした。
「薬指につける指輪、買いにいこうね」
「梓さん……っ」
絵麻はくしゃりと表情を歪め、僕に抱きついてくる。
華奢な身体を大事に抱きしめて、あやすように背中を撫でた。
(一生大切にするからね)

僕が改めてそう決意をした時だった。
「……っ」
絵麻が俯いていた顔を上げたと思いきや、彼女の顔色は見る見るうちに青ざめていく。
体のどこかが痛むのか眉はひそめられているし、冷や汗もかいている。
(雅兄に連絡を……、ん?)
急に体調が悪くなったのかと思い、携帯に手をのばす。

すると絵麻は後ずさって僕から距離を取り、
「すみません、ちょっとお手洗いに」
トイレへ駆け込んでいった。


トイレから戻ってきた彼女は、なんとも言えない複雑な表情をしていた。
早速つわりでも始まったのかと思ったけど、どうやらそうではないらしい。
「あの……」
「ん?」
「たった今、きました」
「へ? それってつまり」
「はい。……赤ちゃんはできてないみたいです」
絵麻の言葉を聞いた途端、かけていた眼鏡がずれ落ちそうになるくらい脱力した。

……よくよく考えてみれば。
つい最近まで、彼女は大学の課題に追われていた。
きっとそのストレスで体調を崩し、生理が遅れていただけなのだろう。

「紛らわしいことを言ってごめんなさい」
床におでこがつきそうなくらい頭を下げて謝る彼女に、目を細める。
少しだけがっかりしたけど、勘違いでよかったと安心している自分もいた。
「ううん、いいんだ。……キミとの子どもは欲しいけど、まだまだ二人きりの時間を堪能したいからね」

それは紛れも無く本心だ。
今はまだ、二人だけの時間を大切にしたい。

だけど――いつの日か、キミと僕にそっくりな赤ちゃんが産まれたら。
それはなんて、幸福なことなんだろう。

遠くない未来のことを考えながら、僕は彼女を優しく抱きしめた。