背中に描いたラブレター

二人でお昼ごはんを食べているとき、テレビに表示された日付を見てふと思い出す。
「音也くん、明日誕生日ですね。何かご予定とか入ってますか?」
誕生日プレゼントは前もって用意していたけど、当日の予定を本人に確認するのをうっかり忘れてしまっていた。
食後のお茶を入れながら尋ねると、お茶碗を持った音也くんが首を捻る。
「午前中から夜まで、取材と撮影が入ってたかな」
申し訳なさそうにごめんね、と謝られ、当たり前のように一緒に過ごすつもりだった自分を恥ずかしく思い俯く。
「帰りも遅くなると思うから、俺の分のご飯は作らないでいいよ」
「そうですか……」
ということは、音也くんの誕生日である明日はほとんど一緒に過ごせないということになる。
彼は今をときめくアイドルの一人だから、忙しい事は分かりきっていたはずなのに、心に影が差すような感覚を覚えてしまった。
(ご飯作ったりして、ちゃんとお祝いしたかったな……)
項垂れかけた時、ならば今日お祝いしてしまえば良いじゃない、と頭の中で誰かが囁いたような気がした。
「では一日早いですが、この後ケーキを買いに行きませんか?」
フライングですが今日お祝いしましょうと言うと、音也くんは笑顔で頷いた。

***

「美味しそうなケーキいっぱいあって悩んじゃうよね」
ケーキ屋さんへ行った帰り道で、音也くんは大きなため息をついた。
折角の誕生日だからホールケーキにしたかったけれど、音也くんもわたしも食べたいケーキが一つに絞りきれなかったので、結局いくつか食べたいケーキを選んで買ってきた。
(歳の数分のロウソクも一緒に買ったけど、どうやって飾り付けよう? 夜ご飯は何を作れば喜んでもらえるかな)
急に決まった今日の予定に頭を悩ませていると、歩くペースが遅くなってしまったようで、気づいたら音也くんの数歩後ろを歩いていた。
追いつこうと歩幅を大きくして、ふと思いつく。
小走りで音也くんの背後に追いついてから、肩甲骨の辺りに指を添える。
練習と言わんばかりに指を左右に動かすと、音也くんがくすぐったそうに身を捩った。
「春歌、くすぐったいよ。何してるの?」
「背中文字です。今からカタカナで文字を書くので、当ててください」
「背中文字かあ、俺も小さい頃よくやったなー……。よしっ、当ててみせる!」
わたしは深く息を吸い、普段は言えない言葉を書くため、腕を動かした。
音也くんの広い背中に、まず横に線を引いてから左斜めに下げ、仕上げの一本を加える。
書き終えましたよ、と声を掛けると音也くんは首を傾げて、何の文字を書いたのか考えているようだった。
飛び跳ねる心臓を静めながら、音也くんの言葉を待つ。
「んー。なんだろう、ス?」
「正解です」
一文字目は、無事に伝わった。
二文字目を書こうとして、我ながらなかなか恥ずかしいことをしているのではないかと顔が熱くなる。
今更やめるのもおかしいので後には引けず、わたしはもう一度深呼吸をしてから音也くんの背中に手を這わした。
「じゃあ二文字目を書きますね」
横棒を二本書き、斜めに傾いた線を入れる。緊張で手が震えそうになるのをこらえ、二文字目を書き終えた。
「難しいなあ」
「わかりにくかったですか?」
ではもう一度、と先ほどより少し大きめに「キ」の文字を書く。
そう、わたしは音也くんの背中に「スキ」と書いた。
音也くんがいつも好きと言ってくれるのに対して、わたしは恥ずかしがってしまい気持ちを告げることが少なかった。
心の中ではいつでも音也くんを想っていて、好きを越えて大好きだと思っているのに、いざ本人を前にするとどうしても詰まってしまう。
突然思いついた方法だけど、これなら素直に好きだと伝えられる気がした。
どうかわたしの気持ちが、音也くんに伝わりますように。

半ば祈りながら反応を待っていると、何の文字が書かれたのかわかったのか、音也くんが肩越しに振り向いた。
「あ、わかった! ……でも、一文字目何だったか忘れちゃったから、もう一回書いて貰っていい?」
「はい」
最初に書いた「ス」の文字を背中に大きめに、ゆっくりとなぞる。
好き、大好きと気持ちを篭めながら。
「どうですか?」
「うん、わかったよ」
少し間を置き、音也くんが頷いてから今度は体ごと振り向いて――わたしは、人目につかない木の陰へ連れ込まれた。
「音也くん?」
目を閉じる暇も無く、わたしの唇は音也くんに塞がれる。
「んっ……」
ごく近い距離に、見慣れた長い睫毛がある。
わたしはぱちくりと瞬きをして、ああキスされてるんだと実感する。 同時に、疑問が頭をもたげた。
わかった、とは言っていたが、書いた文字の意味がうまく伝わらなかったのかもしれない。
音也くんが瞳を開く。そこには、驚いた表情のわたしが写っていた。
「あの……」
「キス、って書いたでしょ」
「え?」
スキ、と書いたつもりだったのに……キス? どういうことだろうと一瞬悩んだ末、思い当たる節があった。
そうだ、二文字目を書いた後、音也くんは一文字目を忘れてしまったからもう一度書いて、と言っていた。
そのせいで文字の順番が入れ替わったのかな。……このままだと、キスして欲しいっておねだりしたようなものだ。
早く弁解しないと。慌てて口を開く。
「あの、違うんです! 本当は、好――」
「俺も春歌のこと好きだよ」
わたしの声に被さって降ってきた言葉に、動きを止める。
ひょっとして、と嫌な予感がして体ごと大きく首を傾げた。
「も、もしかしてわざと」
言いかけたとき、音也くんの人差し指がわたしの唇を押さえた。
「察して。ね?」
……案の定、音也くんはわざと文字の順番を入れ替えたようで。 わたしの顔は見る見るうちに赤くなってしまう。
それでも怒る気になれないのは、音也くんの小悪魔な笑顔にときめいてしまったから。
今みたいな表情、普段浮かべるひまわりのような笑顔、蠱惑的な笑顔……音也くんのもっと色んな顔を見ていたいと、切実に願う。
出来ることならばこれから先も、ずっと。

わたしは音也くんの目をまっすぐ見つめられるように、顔を上向けた。
「来年も再来年も、音也くんがお爺ちゃんになるまで、誕生日をお祝いしてもいいですか?」
「もちろん! 俺も春歌がお婆ちゃんになるまで、ずっとお祝いするよ」
眩しいほどの笑顔で返事をした後、音也くんは照れながら頬を掻く。
「俺さ、日付変わる瞬間だけでも春歌と一緒にいたいんだけど」
今日、俺の部屋に泊まらない? 耳元でそう囁かれ、心拍数が加速する。
一緒に夜ご飯を食べて、お祝いのケーキを食べて、それからきっと――

その先を想像して熱くなった顔を縦に振り、わたしは差し出された音也くんの手を握りしめた。