あなたと花火を

那月からメールが送られてきたのは、春歌が急な仕事を依頼されてからすぐのことであった。
『今週の日曜、花火大会があるそうなんだけど一緒に見ませんか? 部屋からも見られるみたいです』
「花火大会かぁ……」
呟いて、カレンダーを見やる。依頼された仕事の締め切りは花火大会の後だが、早めに提出した方が当日はゆっくり過ごせるだろう。
よし、と小さく意気込んでから春歌は那月へメールを返した。
『花火、ぜひ見たいです! では日曜の夜、那月くんの部屋にお伺いしますね』
少し睡眠時間を削ることになるけれど、頑張れば那月と花火を見られるという喜びが春歌を奮い立たせた。
春歌が仕事を終わらせたのはそれから数日後、花火大会当日の明け方だった。

***

那月と花火を見る約束をした日曜の午後五時頃。春歌は那月の部屋のインターホンを押した。
部屋の中から「はーい!」と元気な返事が聞こえてから扉が開く。
「いらっしゃい、ハルちゃん」
「那月くん、こんばんは。おじゃまします」
部屋へ招き入れられてすぐ、春歌は手に持っていた箱を那月へ見せた。
「ケーキ買ってきたんです。今日、お誕生日ですよね? おめでとうございます」
「わぁい、嬉しいです! あとで一緒に食べようね。……あ、箱のままだと冷蔵庫に入らないから、出してもいい?」
春歌が頷いたのを確認し、那月がケーキの入った箱を開く。すると、中身を覗いた那月は首を傾げた。
「あれ、3つ入ってる」
「ああ、これはですね……わたしと、那月くんの分。それと、砂月くんの分なんです」
春歌も那月と一緒になって箱の中を覗きこみ、指をさしながら一つ一つ説明をしていく。聞いた那月は傾げていた首をさらに傾げた。
「さっちゃんの?」
「はい。……不要だったでしょうか?」
「ううん、さっちゃんもきっと喜びます。お供えしておきましょう」
春歌の顔がぱっと明るくなる。那月はそんな春歌の顔を見つめ、違和感に気づいた。
化粧をしているから分かりづらいが、少しだけ隈ができている。もしかして最近眠れていないのだろうか、と考え那月は春歌をソファに座らせた。急いでケーキを冷蔵庫にしまい、次いで自分もその横に座る。
「那月くん?」
不思議そうな表情を浮かべた春歌の頭を、那月は自らの太ももの上に横たわらせた。
「ハルちゃん、最近ちゃんと眠っていないでしょう」
「どうしてわかるんですか?」
案の定図星だったようで春歌は目を丸くした。那月は小さく微笑み、春歌の頬に手を添える。そのままゆっくりと頬を撫で、少しだけ顔を近づけた。
「僕はあなたのことなら何でもわかるんですよ」
「……実は、ちょっと前に急な仕事が入ったんです。今日までに終わらせようと思って頑張っていたら、ぎりぎりになってしまって」
頬を撫でる那月の手の上に、おずおずとした動作で春歌が自分の手を重ねる。静かに話を聞いていた那月は困ったように眉を寄せた。
(ハルちゃんは頑張り屋さんですね。本当なら、今日は自分の部屋でゆっくり休むべきなんでしょうけど……)
考えて直後、春歌を安心させるように満面の笑みを浮かべた。
「そうなんだ。……ハルちゃん、花火が始まるまでまだ時間があるから、少し寝ていてください」
「でも……」
せっかく一緒にいるのだから、きっと春歌は那月と話をしたりして過ごしたいのだろう。那月も同じ気持ちだが、眠たそうに瞼をこする春歌を放ってはおけない。
今日の目的は春歌と一緒に花火を見ることなので、それさえ達成出来れば満足だった。せめて花火が始まるまでは休んでいてほしい、という一心で那月は春歌の顔に手をかざす。
「いいから、ね?」
「……ありがとう、ございます……」
急に暗くなった視界に春歌は一瞬身をすくませたが、那月の手の暖かさに安心してゆるりと瞼を閉じた。

少ししてからすやすやと安らかな寝息が聞こえてきたので、那月が目の上に被せていた手をどかすと春歌は心地よさそうに寝息を立てていた。
那月は春歌の寝顔を愛おしそうに見つめ、春歌を起こさない程度の力でそっと髪を撫でる。
「ふふ、寝顔も可愛いなぁ。ねぇ、僕はもっとあなたの色んな表情が見てみたいです。僕だけじゃなくて、きっとさっちゃんも――」
春歌の髪を撫でる手はそのままで、空いている方の手で眼鏡を外した。そして次の瞬間、そこにいたのは砂月だった。
「――ったく、那月のやつ余計なことしやがって」
悪態をつきつつも、砂月の表情はとても和らいでいた。
一瞬ソファから立ち上がろうとしたが、膝の上に頭を預けて眠る春歌に気づき、結局やめた。
砂月は春歌の顔をまじまじ見つめ、聞こえるか聞こえないくらい小さいため息を吐いた。
「それにしても、ケーキを供えるって……俺は仏か何かか?」
そもそも俺が出てくるとは限らないのに、どうしてわざわざ買ってきたりしたのだろう。素直に自分と那月の分だけ買ってくれば良かったのに。
そう疑問を抱いて、砂月は那月と同じように春歌の髪を撫でる。
「那月といいこいつといい、本当に変わり者だな」
悪口を言われているとでも思ったのだろうか、春歌が眠りながらも眉間に皺を寄せる。
砂月は「悪口じゃないからな」と小さく呟き頬を緩め、春歌の眉間の皺を伸ばした。
「……ありがとな。夜、お前らが寝たらケーキ貰ってやるよ」
砂月は体を屈め春歌の額にかかる髪を避けてから、そこに口づけを落とす。
しばらくの間、砂月はずっと春歌の髪を撫で続けていた。

***

やがて花火大会が開始される時間が近づき、砂月は傍に置いてあった眼鏡をかける。砂月の意識が沈み再び那月の意識が浮上すると同時に、外から大きな音が聞こえてきた。花火大会が、始まったのだ。
上がった花火が室内を照らし、那月は意識を覚醒させる。
「……あれ? 花火が始まりましたね。ハルちゃん、起きて」
眠り続ける肩を優しく揺する。数回揺すったところで、春歌の瞳が開かれた。
春歌は体を起こし、目を覚ますように自分の頬を軽く叩く。それでもまだ眠気が覚めないのか、ふらふらしながら俯いていた顔を上げた。
「おはよう、ございます……」
「おはよう。見て、花火が始まりましたよ」
那月がそう話しかけている間にも、外ではどんどん花火が上がり、花火の光と音が徐々に春歌の目を覚まさせた。
「わぁ……綺麗ですね」
春歌と那月の瞳に花火の光が映り込む。大きな華が空に咲き、華以外にも動物やキャラクターの絵が空に咲いては消えていった。
二人は視線は外に向けたまま、寄り添いながら花火を眺める。
「ほんっとうに綺麗ですね! ハルちゃんと一緒に花火を見れて良かったなぁ。とっても嬉しいです」
「わたしも、嬉しいです」
そして次の花火玉が用意されている間お互いの顔を見つめ、微笑みあった。
「来年も一緒に見ましょうね」
「はいっ!」
触れそうな距離にあった手と手を、指を絡ませ約束をする。
きらびやかな花火が、二人を照らしていた。