Holy night tryst

毎年行われる、家族とのクリスマスパーティを終えた次の日。
僕はスタジオ付近の駐車場から、絵麻に電話を掛けようとしていた。
携帯の画面に通話履歴を表示し、椿の名前、マネージャーの名前、同業者の名前が並ぶ中から絵麻の名前を探し出して電話をかける。
三回ほどコール音がしたあと、携帯越しに彼女の声が聞こえてきた。
『もしもし』
「もしもし、絵麻? 今、話しても大丈夫かな」
『はい、わたしは大丈夫ですけど……。梓さん、お仕事は大丈夫なんですか?』
「うん、問題ないよ。次の現場の傍にいるんだけど、ちょっと早くつきすぎちゃってね。時間まで駐車場で待機してるところなんだ」
それで、話っていうのはね……と続ける。
世間がクリスマスイヴで盛り上がっていた昨日、僕と絵麻は家族としてクリスマスパーティを楽しんでいた。
そこにはもちろん、椿や他の兄弟もいたわけで……。残念なことに、恋人として過ごせるような空気など微塵もなかった。
そして今日、クリスマス当日。平日だから当たり前だけど、僕には仕事が入っていた。
(本当は朝から一日デートしたかったんだけどね)
せめて今夜は二人きりで過ごしたいと思い――今から、彼女を夜のデートに誘ってみるつもりだった。
他愛ない会話をしつつ、咳払いをして本題に移る。
「ところで、今夜の予定は?」
『特にはないです』
予定が空いていると聞いて、僕が安堵しながら「デートしようか」と言うと、絵麻が微笑む気配がした。
次いで、嬉しそうな声で『はい』という返事が聞こえてくる。
「仕事が終わってからになってしまうんだけど、大丈夫かな」
『もちろんです、待ってます。お仕事頑張ってくださいね』
「ありがとう。夜の六時くらいに駅で待ち合わせようか。仕事が終わったら連絡するね」
『わかりました』
「それじゃあ、また」
電話を切ってふぅ、と息をつく。無事に絵麻の予定を確保できてよかった。
もし僕以外の誰かと出掛けることになっていたらどうしようかと内心冷や冷やしていたけれど、杞憂で済んだようだ。
携帯をしまいながら、腕時計を見やる。まだスタジオに行くには少し早すぎる時間だった。
このあと、立て続けに三件ほど仕事が入っている。普段なら仕事を終えたらすぐ帰宅して休むところだけど、今日は特別な日だ。
(絵麻と出掛ける為に、残りの仕事もがんばらないと)
僕は鞄から次の仕事で使う台本を取り出して、ミスをして余計な時間がかかってしまわないように、入念に収録の流れとセリフをチェックし始めた。

   ***

無事にすべての仕事を終えてから、僕は絵麻と待ち合わせる為に駅へとやってきていた。
乗っていた車は駅には停められないから、近くの駐車場に停めてある。
(クリスマスプレゼントはどのタイミングで渡そうかな)
家族としてのプレゼントは、椿と選んだものを昨日のうちに渡してあった。
でも、恋人としてのプレゼントは渡すタイミングが掴めず、まだ僕の鞄の中で眠っていた。
車内に戻った時にでも渡そうかと考えつつ、雑踏の中から彼女の姿を探す。
駅は人で……というか、カップルやら集団やらで溢れかえっていた。
このままうろついていたら、絵麻とは合流できないかもしれない。
ひとまず時計台の下で立ち止まり、彼女に連絡を取ろうとポケットから携帯を取り出そうとした時だった。
目の前を通り過ぎていった女の子のグループが突然足を止めたと思ったら振り返り、僕を凝視し始めた。
「ねぇ、あの人声優の朝日奈梓に似てない?」
「え? 本当だ!」
女の子達……は恐らく僕のファンなのだろう。彼女達はちらちらと僕の方を見ては、黄色い歓声を小さく上げている。
声が資本の仕事をする以上、喉を痛めるなんてもっての外だからマスクをつけていたけれど、顔の半分が隠れていてもファンには気づかれてしまうのかもしれない。
話しかけてみてよ、なんて話しつつ僕を見ているようだけど、あえて気づかない振りをして視線は雑踏に投げたままにした。
(まいったな……)
迂闊に目でも合わせたら一斉に囲まれそうな勢いにたじろいでいると、人混みの中に絵麻の姿を見つけた。
絵麻も同じく僕に気がついたようで、顔を輝かせて手を振ってくる。
控えめに手を振り返しつつ、横目でファンの子達の様子をうかがう。
彼女達は「朝日奈椿と一緒じゃないのかなあ」とはしゃぎながら、相変わらず僕を見ている。
このままこの場にいると、絵麻の姿を彼女達に見られてしまうだろう。
恋愛については特に公言したことはないけど、年下の女の子と二人きりで歩いていたとネット上で拡散でもされたら、今の自分の立場では面倒なことになるかもしれない。
などと悩んでいるうちに、絵麻が僕の元へ駆け寄ってきてしまった。
――もし、絵麻の顔をファンの子に覚えられてしまって、僕のいない場所で絵麻に突っかかりでもしたら。
嫌な想像が頭をよぎり、思わず眉をひそめてしまう。
(そう考えると、絵麻の顔はなるべく彼女達に見せたくない)
僕に近づく絵麻に気づいたファンの子達が、一瞬しんと静まる。その一瞬のうちに、僕は被っていた帽子を脱ぎ、彼女に目深く被せた。
次に巻いていたマフラーを外して彼女の首にぐるぐる巻き、顔を半分ほど隠す。
「梓さん、あの」
「ごめんね」
僕は一言謝ると戸惑う彼女の手をとって走り出した。
駅から出て、人の間を縫うように走る。
後ろからファンの子達の悲鳴のような何とも言えない声が聞こえたような気がしたけど、その辺りは後日、クリスマスの夜は外出せず家族と「家で」過ごしたとでも言ってフォローをいれておくことにしよう。

僕達の姿がファンの子達の視界から消えるのを見計らってから、走る速度を落とす。
(とりあえず、駐車場に戻ろう)
人の少なそうな道を選び、車を停めた駐車場へ向かおうとして……ふと、絵麻の様子が気になった。
マフラーでマスクのように口元と鼻を覆ってしまった上にだいぶ走らせてしまったから、少し立ち止まって休んだほうがいいかもしれない。
そう考えながら、偶然視界に入った路地裏へ絵麻を連れ込んだ。
「急に走っちゃってごめんね。大丈夫だった?」
「は、はい……」
絵麻は息を切らせながら顔の半分を隠していたマフラーを顎の辺りまで下げ、僕が被せた帽子を脱ぐ。
なかば無理やり被せてしまったせいか、絵麻の髪はすこし乱れていた。
申し訳ないことをしたなと思いつつ、乱れた髪を手櫛で梳かしてやる。
「ごめんね、近くにファンの子がいたみたいだから」
指通りの良い細い髪を軽くまとめ、サイドに流す。彼女は僕に髪の毛を触られるまま動かず、言葉の続きを待っているようだった。
僕は自分でつけていたマスクを取り、絵麻と正面から向き合って、彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
「キミの顔を覚えられて万が一のことがあったら、って考えたら思わず」
ごめんね、と耳元で囁くように謝ると、絵麻はそれ応えるように僕の背に腕を回した。
「何があっても大丈夫です。それに、もしファンの人達に嫌がらせをされても、わたしは負けません!」
「絵麻……」
口元に笑みをたたえて、僕を抱きしめ返す絵麻が愛しくてたまらない。
まるで恋愛初心者のように胸をときめかせながら彼女の名前を呟いた時、頬に冷たいものが触れた。
「雨……じゃなくて、雪か」
空を見上げると、上空からは白い粉雪がちらほらと降ってきていた。今日は一段と冷え込んでいると思っていたけど、雪が降るとは思っていなかった。
絵麻も僕と同じく空を見上げ、手のひらに粉雪を乗せる。
「ホワイトクリスマスですね」
視線を空から僕へ移し、絵麻が嬉しそうに笑う。
その頬におもむろに手を添えると、先に起こることを予想したのか、絵麻はちょっと戸惑った顔をした。
僕は不安を拭い去るように、絵麻に向かって微笑みかける。
「大丈夫。今、この場所には僕達しかいないよ」
人の少ない道を選んで走ってきたおかげか、周囲に人の気配はなかったし、駅で見たファンの子達が追いかけてきそうな気配もなかった。
もしこの付近を歩くカップルがいたとしても、今の僕達みたいにお互いに夢中になっていて、他に誰がいようが気にしないだろう。

僕の言葉を聞くと、絵麻は安心したようにゆっくり目を閉じた。
僕も目を閉じながら彼女に顔を近づけ、唇同士を重ねる。

そうして僕は、雪が降る中彼女と何度も口づけを交わしていた。

   ***

夜の九時。
レストランで食事を済ませてから、僕達は都内から車で一時間ほどかかる湖を訪れた。
クリスマスシーズンということもあり、湖の周囲はライトアップされている。
青と白の光が交互にまたたき、それが湖面に反射して幻想的な風景を生み出していた。

隠れデートスポットとしてよく取り上げられるこの場所、さすがクリスマスだ。右を見ても左を見てもカップルがいる。
ただ、少し遅い時間なのもあってそこまで混雑しているわけではなさそうだった。
人気のない場所を選び、二人で手をつないで岸辺を歩く。
隣にいる絵麻は、湖の上を粉雪が舞う景色を眺めてはうっとりした表情を浮かべていた。
「綺麗ですね……!」
「そうだね」
絵麻の言う通り、確かに綺麗な景色だった。でもそれよりも、景色を眺めて喜ぶ絵麻の顔が、何よりも綺麗だと思った。
(連れてきてよかったな)
無邪気に笑う姿を見ていると仕事や日頃の疲れもすべて吹き飛びそうだ――などと一人で和んでいると、絵麻の肩が震え、くしゅんと小さなくしゃみが聞こえた。
雪が降るほど寒いので、あまり長い時間外に出ていると体を冷やしてしまうだろう。
「車に戻ろう」
僕は絵麻の肩を抱き、彼女を助手席へ導いた。

ハンドルを握り車を発進させ、僕はごめんと呟いた。
「合流して早々走らせちゃったり、ご飯を食べて、湖を見ただけでごめんね。もっと素敵なデートプランに出来たらよかったんだけど」
やはり平日の夜から出掛けるとなると行ける場所も限られてくるから、特別な日だというのにあまり満足させられなかったんじゃないか……と年甲斐なく心配してしまう。
けれども彼女は、ぶんぶんと手を振って僕の中の心配を無くしてくれた。
「いえ、そんなことないです」
料理がおいしかったとか、湖のどこが綺麗だったとか、丁寧に感想まで伝えてくれたその後に一瞬口をつぐみ、僕の顔をじっと見る。
「……こんなに」
「ん?」
「こんなにも素敵なクリスマスを過ごしたのは、初めてかもしれません。好きな人とご飯を食べた後に、綺麗な景色まで見られて……」
前を向いたまま、ぽつぽつと静かに紡がれる、彼女の言葉に耳を傾ける。
「待ち合わせの時も最初はびっくりしましたけど、内心ちょっとワクワクしましたし……ああでも、それはクリスマスだからというより、梓さんが隣にいるから楽しいし、幸せなんですね」
信号が黄色になり、ブレーキを踏む。その時に見た絵麻の顔がかわいくてかわいくて、すごくキスをしたくなった。
運転中じゃなかったら、思いきり抱きしめていたところだ。
「僕もだよ。キミとなら一緒にいられるだけで、こんなにも幸せなんだ」
僕がそう言うと、絵麻は幸せそうに微笑んだのだった。

その後も黙々と運転を続け、ようやく都内へ戻ってきた。
家まであと少しの距離まで来たところで、絵麻は疲れが出たのか寝てしまった。助手席で目をつむり、すやすやと寝息を立てている。
「段々口数が少なくなっていたと思ったら……。少し連れ回しすぎちゃったかな」
絵麻を寝かせたまま、家の駐車場に車を停める。
本来なら今すぐ起こして部屋に帰らせた方がいいんだろうけど、僕が彼女の寝顔をもう少し見ていたかった。
(本当に、可愛い……)
伏せられた長い睫毛、艶のある唇、静かに上下する胸元――
思わず彼女に手を伸ばしかけ、引っ込める。眠る彼女に手を出すなんて、僕はなんて卑しいことをしようとしたんだろう。
怪しい思考を振り払っているうちに、鞄に入れっぱなしになっているプレゼントのことを思い出した。
(そういえば、まだ渡してなかったな)
自分の鞄の中から紺色のリボンが結ばれた小箱を取り出す。
小箱に入っているのは、花のチャームが付いたピンクゴールドのブレスレット。
これが、僕から絵麻への恋人としてのクリスマスプレゼントだ。
桃色がかったゴールドのブレスレットは、彼女の透き通る肌に、きっと良く似合うと思う。

運転席と助手席の間に置かれた彼女の鞄に、小箱をそっと忍ばせる。
多分彼女は、部屋に戻ってからこのプレゼントに気がつくだろう。
僕はその時の反応を思い描きながら――閉ざされた彼女のまぶたに、口づけを落とした。

来年もその先も、毎年彼女の隣で聖なる夜を過ごしたいと切に願いながら。
僕は眠る絵麻の肩を揺すり、彼女を眠りの淵から呼び戻した。