何度も君に恋をする

新しい楽譜を見たいという春歌の希望を叶える為、俺達は二人揃って出かけていた。
楽器屋を見た後、時間が余っていたのでショッピングモール内をうろついていたところ、新しく出来たアクセサリーショップがあったので二人で入ってみることにした。

「わあ、この指輪可愛い」
俺の隣にいた春歌が感嘆の息を漏らし、ショーケースに入った指輪に目を輝かせる。釣られて覗きこむと、春歌に似合いそうなデザインの指輪が飾られていた。
「おう、お前によく似合いそうだな」
「そうかな? ……あ、でも値段が高いから、見るだけで十分かな」
値札を見た春歌はため息をつき、それでも指輪から目を離さなかった。女子としての憧れなのだろうか、瞳をキラキラさせて食い入るように見つめている。

付き合い始めてから、早数年。俺はアイドルとして、春歌は作曲家としてお互いに芸能界で活躍してきた。
時には大喧嘩もしたけれど最後には必ず仲直りしたし、なんだかんだで良い関係を築いている。
俺達の関係を知っている周囲の人から「いつ入籍するの?」なんて聞かれては俺も春歌も顔を真っ赤にしていたが、正直、俺としてはそろそろ結婚を視野に入れて生活したいと思っていた。
春歌にはまだ言っていないが、今日偶然を装ってこの店に入ったのは薬指につける指輪を探す為だったりする。
俺一人で選んでしまおうかとも思ったけれど、どうせなら春歌の気に入ったものをプレゼントしたい。ひとまずは二人で指輪を眺めて、あとでこっそり買いサプライズとして渡そうと決めた。

しかし、何も買わずに店を出るのも気がひける。
店内を見回すとシンプルな装飾のネックレスを見つけた。派手すぎず、かと言って地味でもなく、控えめについたチャームが可愛らしい。
一つ手に取り、春歌を呼び寄せ胸元にあて、顔とネックレスを交互に見る。
「うん、お前に似合うな」
俺は勝手に頷くと傍にいた店員にネックレスを手渡した。
「このまま付けていくので値札取ってください」
春歌が驚いた顔で俺を見ている。おろおろと鞄の中から財布を出そうとしているので俺はそれを止め、自分の財布を取り出した。
「普段あんまり一緒にいてやれないし。俺からのプレゼント」
「でも、わたしも翔くんに何か買ったほうが……」
「俺が勝手にプレゼントしたいだけだから」
そう言ったとき、店員が値札を取ったネックレスを差し出してきた。受け取り、金具を外す。
「付けてやるからあっち向けよ」
「ごめんね。……ううん、ありがとう。嬉しい」
振り向きながらお礼を言う春歌は、なんだかいつもより綺麗に見えた。

店を出たあと、駅に向かって歩いていた。改札口が見えてきたところで俺は足を止める。
「わりぃ、ちょっと寄り道するから先帰っててくれ。迷子になったら電話しろよ」
「もう、翔くんったら。わたしだってもう25歳だし、迷子になんてなりません!」
春歌が頬をぷくっと膨らませそっぽを向く。俺はその頬を軽くつつき、笑った。
「ごめん、冗談だって! じゃあ、気をつけて」
「……はい。ご飯作って待ってますね」
「よろしくな」
俺に向かって手を振る春歌の胸元で、あげたばかりのネックレスが鈍く輝いた。

春歌が駅のホームに入っていくのを見届けてから、先程の店に戻った。
店内には疎らに恋人連れがいるが、混雑しているわけではない。買うなら今だ、と変装用の帽子と眼鏡、そしてマスクの位置を直し店員に声をかけた。
「この指輪をお願いします」
「かしこまりました」
店員が指輪を取り出し、プレゼント用のリボンやら箱やらを並べていく。説明を受けている間、脳内は指輪を受け取って喜ぶ春歌の顔でいっぱいだった。

店を出る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
「あいつ、驚くかな」
自然とにやけてしまう頬を抑え、商店街の灯りがきらめく中を少し早足で歩いた。早く春歌に会いたい。会って、指輪を渡して、それから……。妄想は膨らむばかりだったが、いずれ現実になるのだと思うと浮き立つ気持ちになる。
これから、新しい日々が始まるのだと信じていた。
春歌と別々に帰った事を後悔するのは、その直後だった。


寮への最寄り駅に着いた時、電話の着信音が鳴り響いた。
液晶画面に表示される七海春歌の文字を見て再び頬が緩みそうになるのを抑え電話に出る。
「もしもし」
「翔ちゃん! どこにいるの!?」
電話越しに緊迫した声が聞こえてくる。
「今駅出たところだけど……って、薫? なんで薫が春歌の電話……」
なんとなく嫌な予感がした。徐ろに冷たい汗が俺の背中を伝う。薫が深く息を吐いてから、俺にゆっくりと喋りかける。
「翔ちゃん、落ち着いて聞いて」
「あ、ああ」
「……春歌さんが、事故にあったんだ」
「……え?」
「さっき僕のいる病院に運ばれてきて、それで……」
薫の言っていることがよく分からない。いや、意味は分かるが、理解したくないとでも言いたげに俺の耳は薫の声を受け流している。
二人して俺をからかっているのかとも疑ったが、春歌は縁起の悪い冗談など言わないし、薫も言うはずがない。
まさか、まさかと脳が思考を停止しそうになったが、薫の今にも泣き出しそうな声にハッとする。
「とにかく、病院に来て」
通話を切るよりも早く、俺は病院へ向かって走り出していた。
どの程度か聞き忘れてしまったが、もしも大きな事故だったら。さっきまで一緒にいたのに、もう二度と会えなくなってしまったら。考えるだけで涙が出そうになる。
走りながら、普段はあまり信じていない神様に対して救いを求めた。
神様頼む、春歌を助けてくれ。俺に出来ることなら何でもする。春歌の、あいつの笑顔を守る為なら何だって出来る。だから――
そう祈りながら必死に走り、俺は病院に駆け込んだ。

病院に入ってすぐのフロアに薫はいた。
着ている白衣を見て、そういえばこの病院は薫の勤務先だったと思い出す。今ここにいるということはきっと春歌の担当では無いのだろうけど。
「春歌は?」
肩で息をしながら問いかける。薫が静かに近寄ってきて俺の手を握った。
「な、なんだよ」
「……春歌さんの病室、あっちにあるんだ。命に別条はないって先生が言ってた。でもその前にね、翔ちゃんに聞いてもらわなきゃいけないことがある」
「なんだよ、後でもいいだろ」
八つ当たりだと分かりながらも少し苛立ち、薫の手を振り払った。指さされた方角へ駆け出しそうになるのを我慢して早歩きで廊下を歩く。
「ちょ、ちょっと翔ちゃん! 待ってよ! 春歌さんはいま記憶が――」
止められるのも聞かず、俺は病室の名前をひとつずつ確認し、春歌の病室へ辿り着いた。ノックをしてから返事も待たずに病室へ入る。
薫が背後でため息を吐く気配がした。

室内にはベッドが4つ配置されていて、そのうち3つはまだ人が入っていないようだった。軽く見渡してから、窓際の白いベッドの上に春歌が横たわっていることに気がついた。
頭にも、腕にも、そこら中に白い包帯が巻かれている。ぼんやりと天井を見つめる姿が更に痛々しい。
無事なら、命に別条はないなら、早く俺に声を聴かせてほしい。その一心で春歌に近づき、名前を呼ぶ。
「春歌」
「……」
「……春歌?」
呼びかけても返事はない。目は開いていて、声に反応してこちらを向いたから起きているはずなのに。
「どうした? どこか痛いのか?」
「……あなたは……」
ふと生じる違和感。春歌は俺のことをいつも名前で呼んでいた。あなたなんて呼んだことは、無かった。
足元が急に無くなってしまったような感覚に襲われる。底なし沼に沈むような嫌な感覚。また、ひやりと冷たい汗が俺の背中を流れていく。
春歌が何か言おうと口を開くが、本能が聞いてはいけないと警鐘を鳴らす。でも耳を塞ぐことは出来なかった。
案の定、俺は春歌の言葉に倒れそうになった。

「あなたは、誰ですか?」

瞬時に薫が言いかけていた、記憶が……という言葉の意味を理解した。
目の前が真っ暗になり、その場にしゃがみ込む。
神様は俺に、味方などしなかったみたいだ。