きみの誕生日には

春歌の部屋で母特製の寿弁当をたいらげた嶺二は、腹をさすりながら大の字で寝ころんだ。
「あー、ちょっと食べ過ぎちゃったかも。胃が……」
「大丈夫ですか? お腹いっぱいでしたら、ケーキは明日まで取っておきましょう」
腹の次に胃の辺りをさする嶺二に、食後のお茶を運んだ春歌が心配そうに声をかける。
嶺二は負い目を感じたようにしょんぼりと肩を落とし、春歌の方へ体を捻って両の手を合わせた。
「うん……。せっかく買ってきてくれたのにごめんね」
「いえっ、気にしないでください! お弁当おいしかったですし、わたしもお腹いっぱいですし!」
春歌は慌てて手を振り、謝罪の言葉をひらりと交わす。そんな春歌に、嶺二は気を遣わせちゃったなと自嘲気味に小さく笑った。
「はは、ありがと。何たって母ちゃんの真心入り特製弁当だからね。しかも誕生日だから、っていつもの五割増しくらいで豪華だったし」
「はい。本当においしかったです……」

特製弁当の味を思い出したのか、春歌はうっとりとしながら頬に手を当てたのち、くるりと身をひるがえしてピアノを指差した。
「そうだ。ちょっとピアノを弾いてもいいですか?」
「もちろん! 春歌ちゃんのピアノ、聴きたかったんだよねぇ」
二つ返事を聞いた春歌は、ピアノへ向かいピアノの天板を開いた。
嶺二も身を起こして様子を見守りながら、運ばれてきたばかりのお茶を一口啜る。

春歌は譜面台に楽譜を置いてから椅子に腰掛け、一度深呼吸をし、にこりと微笑んだ。
「では、つたないですが聴いてください。嶺二さん、お誕生日おめでとうございます」
そう言って紡ぎ出された曲は、幼い頃から何度も聴いた「Happy birthday」だった。
耳慣れたメロディに乗せて、彼女の柔い声が歌を紡いでいく。名前の部分はご丁寧に「嶺二さん」と呼んでいて、嶺二はこんな時くらい呼び捨てにしてくれていいのに、と苦笑した。

やがて終盤へと差し掛かり、曲が終わると思いきや。
春歌の声は途切れたがピアノの音は途切れず、聴いたことのないメロディに変身していった。
春歌がアレンジを加えたのかとも思ったが、それにしたって曲調が変わりすぎている。
困惑しながらも、嶺二の中で一つの予感が顔を出した。

「春歌ちゃん、もしかしてそれ――」
新曲? と訪ねようとしたとき、春歌が鍵盤から優しく指を離し、ふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「嶺二さんの為に作った曲なんです。……貰っていただけますか?」
「もちろんだよ!」
春歌が首を傾げるより早く、嶺二は即答していた。
「最高のプレゼントだよ! ありがとう、春歌ちゃん」
ピアノを弾き終えた春歌に、嶺二が拍手をしながらおもむろに近づいた。椅子に座ったままでいる春歌の後ろに周りこみ、そのまま抱きしめる。
そして春歌の耳元に顔を近づけ――甘い声で囁いた。
「……お返し、なにがいい?」
耳に吐息が当たってくすぐったかったのか、春歌は肩を竦めて、回された腕にそっと触れた。
「お返しなんてそんな……。わたしがプレゼントしたかっただけなので」
「んー、そうはいってもねぇ。ぼくの方が年上だし、年上の意地というか……。春歌ちゃんの為なら、お兄さん何でも買ってあげるよ?」
「……わたしは、嶺二さんと一緒にいられるだけで満足なんです」
特別なものは何もいりませんと言い、腕に触れていた手の平を今度は嶺二の手に合わせ、指を絡ませる。春歌の頬は薄紅に染まっていて、嶺二と目が合うと気恥ずかしそうに視線を俯かせた。

嶺二はといえば、春歌の発言を聞いてからずっと黙り込み何の反応もしないでいる。
何かまずいことでも言っただろうかと、春歌が不安そうに顔を上げた時、嶺二は勢い良く春歌の体を抱き上げた。
「…………なに今の発言。超可愛いんですけどーっ!」
「ひゃっ……嶺二さん!」
驚いて目を見開く春歌の脚の下に腕を入れ、横抱きの状態になる。嶺二は得意げな表情で、白い歯を見せて笑った。
「どう? ぼくのお姫さま抱っこは?」
「お、重いでしょうからおろしてください!」
女子としての恥じらいがあるのか、春歌は頬どころか顔を真っ赤にして嶺二を制止しようとする。しかし嶺二はそんなことには構わず、その場でくるくると回り始めた。
「ぜーんぜん! 羽根みたいに軽いよ」
「うう……」
楽しそうに回る嶺二だが、一方の春歌は落ちないようにと必死で嶺二にしがみついていた。
「あはは、落とさないから大丈夫だよ」
「そうは言いましても……っ」
春歌を抱きかかえたまま数周回った嶺二は、満足そうに笑ってから思い立ったように春歌の顔を覗きこんだ。
「じゃあさ! 来年のきみの誕生日に」

そうしてすぐさま、真面目な表情に切り替えて春歌を見つめて。
「ぼくの名字を、あげてもいいかな?」
きょとんとしている彼女の唇に口付けた。

言葉の意味に気付いた春歌は、自分を抱える嶺二の首に両手を回して――ゆっくりと破顔した。
「喜んで、いただきたいと思います」

嶺二は愛おしそうに春歌を見つめ、もう一度その唇を啄んだ。

「愛してるよ、マイガール」