マスミラパロの後日談SSです

マーガレット

「わぁ……!」
眼前に現れた花で敷き詰められた風景に、わたしは目を輝かせた。
「お兄様、見てくださいっ!」
「おおっ、綺麗だね~」
天気のいい本日、レイジーお兄様と二人きりで遠方にある花畑にやって来ていた。
視界に広がる桃色や水色、様々な色の花々に気分が上昇する。
「あっちには他の花も咲いてるみたいですよ!」
「ハルカ、そんなにはしゃいだら転んじゃうから気をつけて」
「大丈夫で……きゃっ!」
注意されたばかりなのに早速足をもつらせて、危うく転倒しかける。
そんなわたしの体を支えたのは、お兄様のたくましい腕だった。
「ほ~ら、言わんこっちゃない。きみの肌に傷をつけて帰ったら、お父様達になんて言われるか!」
「ごめんなさい……」
しゅんと肩を落として反省していると、おでこにちゅっと何かが触れる。
それが柔らかな唇だと気づいて顔を上げると、お兄様の微笑みが待っていた。
「怪我してないならいいんだ。でも、気をつけてね」
「は、はい……」
数拍置いてから額に口づけられた事を意識し、顔面に熱が集中する。
じわじわと頬が熱くなって、たまらずに俯いた。
「もう、キスだけでこんなに真っ赤になっちゃって」
お兄様がわたしの頬をよく見られるようにと横髪を持ち上げる。
顔に指先が触れ、思わず肩を揺らしてしまった。
「……それは、お兄様のせいです」
抱きとめられた腕からもお兄様の温もりが絶えず伝わってきて、わたしの体温は上がる一方だ。
うるさくなった心臓をなだめる為に、そっとまつ毛を伏せる。
「そんな顔されると、おでこ以外にも触れたくなるな」
お兄様の指先があごを持ち上げ、真正面から視線がぶつかる。
迷いのない瞳はそのままわたしに近づいて、静かに唇が重なった。
「……もっと、していい?」
唇を離すや否や更なる口づけを求められ、わたしは恥ずかしさのあまり首を振る。
「だ、だめです。これ以上したら……」
「これ以上したら?」
熱っぽい瞳で私を見つめ、お兄様はゆっくりと首を傾げた。
これ以上したら、もっと触れたくなる――という言葉を飲み込んで、目の前の花畑を指し示す。
「せ……せっかく花を見に来たのに、日が暮れちゃいますからっ!」
するとお兄様はがくりと肩を落とし、わたしから手を離した。
そして代わりに指同士を絡めてくる。
「……はぁ。しょうがないな。ハルカがそう言うなら、先に花を見ようか」
お兄様の手は温かくて、優しくて、キスによって乱れた呼吸は次第に落ち着き……今度はとくん、とくん、と穏やかな鼓動が胸の中に生まれた。

花畑の中で過ごす穏やかな時間は案外経過が早く、周囲はあっという間にオレンジ色の日差しに照らされた。
「もう夕方になっちゃったね。時が立つのは早いなぁ」
「はい……」
そろそろ帰らないと……と考えながらも名残惜しく、景色を眺める。
「あ、そうだ。この花は知ってる?」
お兄様がそばにあった花を見るために身体を屈める。
その動作につられてわたしもしゃがみ込むと、彼は花弁を指先で撫でた。
「マーガレット……ですか?」
「そう、正解。じゃあ、花言葉は何でしょうか」
花自体は町の中でもよく見かける種類。でも花言葉は知らなくて、わたしは首を傾げる。
「えーっと……」
「あと十秒で答えないと、ちゅーしちゃうよ。激しめのやつ」
「えっ!?」
驚いている間に十、九、八……とカウントが始まる。
普通のキスならまだしも、熱烈なものをされたらいよいよ心臓が持たなそうです。
必死になって記憶を探ったけれど、答えは出ず……。
「はい、時間切れ」
「うう……」
お兄様は指先でバツの形を作り、もう一度ピンクのマーガレットに触れた。
「花言葉って色々あるらしいんだ。花自体についているものもあれば、色によっても意味が変わったり」
「へぇ、そうなんですか」
「例えば……マーガレットの花言葉は、信頼とか、真実の愛なんだけど」
途中で言葉を切ると、次は隣に咲く白いマーガレットに手を伸ばす。花を見つめる眼差しは温かく、でも少し切なげで。
「白色は秘めた愛……まるで、ぼく達の関係を表してるみたいだね」
お兄様の紡ぐ話に、わたしまで言葉が詰まりそうになった。
わたし達の間には血縁関係はないけれど……それでも他人から見れば兄と妹。
だからお兄様と恋人同士ということは、まだ身内以外に明かせていない。
その事実を考えると、ちょっとだけ苦しくなる。
「……黄色のマーガレットの花言葉は、何なんですか?」
しんみりとした空気を振り払うために口を開く。
お兄様は一瞬きょとんとしていたけれど、わたしの意図を汲んだのか小さく笑った。
「黄色はね、ハルカにぴったりだと思うよ」
「わたしに?」
彼は黄色のマーガレットを摘み、前方に向けていた視線をわたしに移した。
摘み取った花を髪に飾りつけて、慈しむように微笑む。
「美しい姿、って意味だから」
「そ、そんなことを言ってくれるのは……きっとお兄様だけですよ」
複数の異性に声を掛けられるようなお兄様と違い、わたしには男性の知り合いが幼馴染以外にほとんどいない。
だからそれは買いかぶりすぎだと思うけれど、この人に真正面から言われるとつい照れてしまう。
「うんうんっ、君の魅力はぼくだけが分かってればいいよ」
わたしの赤らめた頬をふにふにと触り、お兄様は目尻を下げた。
「それにしても、ハルカと二人でいると本当飽きないな。表情がころころ変わって、可愛い瞬間もあれば、美しさに見惚れる事もある」
「お……」
お兄様、と呼びかけた口を閉じる。彼の指先が、唇に触れてきたからだ。
声を堪えると、お兄様はゆっくりと頭を傾けた。
「お兄様、じゃないでしょ?」
「え……」
「今は他人の目なんて無いんだから……名前で呼んで。ね?」
「……」
熱を孕んだ瞳に見つめられて、動けなくなる。
口元に微笑を浮かべた彼に、優しい口調で急かされた。 「ほら、早く」
心の中で数々の葛藤を繰り広げ、ようやく名前を呼ぶ。
「……レ、レイジー……」
「よくできました」
ご褒美だよ、と額に口づけが訪れる。
その感触に目を閉じると、唇にもキスが降ってきた。
軽く啄まれた後は、口内に舌が差し込まれる。
「ん……っ!」
呼吸がままならず、息苦しさに目を開ける。
すると彼は目を細め、口づけをさらに深くした。
心拍数がどんどん速まって、頭がくらくらする――
激しいキスから解放されたのは、わたしが唇を重ねる気持ちよさのあまり崩れ落ちそうになってからだった。
「ごめんごめん、つい夢中になっちゃって」
「い、いえ……」
肩で息を吸いながら、軽くもたれかかる。
呼吸を整えてから顔を上げると、そよぐ風がお兄様の髪を揺らしていた。
サラサラとなびいている髪に手を伸ばし、撫でる。
お兄様はどうしたの? と不思議そうにしていたけれど、やがてリラックスするように目を伏せた。
視線を追うようにうつむく。彼の足元では白色のマーガレットが風に揺れていた。
その景色を見て脳裏に浮かんだのは、先程お兄様が呟いた声だ。
『白色は秘めた愛……まるで、ぼく達の関係を表してるみたいだね』
わたしがお兄様との関係を隠していることを苦しく思うように、彼には彼なりの葛藤や悩みがあるのだろう。
今すぐは無理でも、いつしか自分もこの人を支えられる存在になれたなら、と願いながらお兄様を抱きしめる。
「ハルカから抱きしめてくれるなんて……嬉しいな」
声を弾ませたお兄様が、わたしを抱きしめ返してくれる。
腕の力は強く、わたしを二度と手放さないと言っているかのようだった。

ねぇ、ハルカ――と甘く名前を囁かれる。
「いつか今いる場所を離れて、二人だけで暮らす時が来たら……そのときは、庭にたくさんのマーガレットを植えようね」
花々に囲まれて、周囲の目を気にせずに愛しい人と暮らす生活。そんな未来が訪れるのは、きっとそう遠くない。