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大人げないふたり

ひょんなことから同じ事務所の寿先輩、黒崎先輩のデュエットソングを作ることになった。
先輩方とは過去に何度か一緒に仕事をしていて、以前に比べたら打ち解けた関係になれたので、今日の打ち合わせもきっと上手くいく。と思ったのですが……。

「ねえ後輩ちゃん、こことここのメロディは変えた方が良いと思うよ」
右隣から楽譜を覗きこむ寿先輩がペンで修正点に丸をつけていく。
「あ、確かにその方が盛り上がりますね……では、こんな感じでどうでしょう」
曲のラフを何パターンか作ってから聞いてもらった所、修正点がたくさん出てしまった。
わたしはうなだれる暇も無いまま指定された箇所を訂正し、パソコンに打ち込んで音を確認し、気に入らなかったらまた修正……という作業を繰り返していた。
「それよりもこっちのコード進行変えろ」
わたしが寿先輩に丸をつけられた部分を直そうとすると、左隣にいた黒崎先輩が別頁の楽譜に印をつけた。
慌ててそちらも確認し、頷く。

お二人に注意された箇所を見て、同時に音を組み替えながら楽譜にペンを走らせていると、寿先輩が声を上げた。
「もーランランってば、いま後輩ちゃんはぼくが指定したところを直してるんだから、邪魔しちゃだめでしょ!」
「はあ? 早くやらねえと日が暮れるだろうが」
作り出される一触即発の空気に、わたしは頭を下げる。
「す、すいません! わたしが不甲斐ないばかりに曲作りが進まなくて……」
「ううん、後輩ちゃんは頑張ってるよ。ぼくらが勝手に口出してるだけなんだし」
よしよし、と寿先輩が慰めるように頭を撫でてくれた。
少しだけ近づいた距離にまごついていたら、黒崎先輩が苛立ったようにこちらを睨みつけていた。
「おい、さっさと進めるぞ」
「は、はい」
鋭い眼光に貫かれ、萎縮しながら楽譜に向きあう。
ペンを握りしめながら黒崎先輩の横顔を盗み見すると、先輩は真剣な眼差しで楽譜を見据えていて、なんだか心臓が跳ねたような気がした。

「この部分はもっとベースラインを動かせ」
「こうでしょうか?」
指差された部分に少しだけ書き込みをいれる。けれど黒崎先輩はあまり気に入らなかったらしく、不満そうな声を出した。
「ちげぇ、そうじゃねえ」
「あ……」
黒崎先輩がわたしの手ごとペンを握って動かし、楽譜には新しいベースラインが書き込まれていく。
手から伝わる体温がこそばゆくて、でも真剣な表情で楽譜に書き込みを入れている黒崎先輩に声をかける事も気が引けてしまい、わたしは硬直したまま楽譜を見つめていた。

「ストップスト――ップ!」
様子を見ていた寿先輩が、わたしと黒崎先輩の間に手刀を差し、被さっていた手が離れた拍子に、わたしはペンを落としてしまった。
二人の手から離れたペンが床へと転がる。早く拾わないとどんどん机の下へいってしまう。
わたしは急いでしゃがみ込もうとし……寿先輩に体を捕獲された。
「あの、寿先輩?」
「ぼくだって後輩ちゃんと手繋いで曲作りたいよ」
寿先輩はわたしの体を抱きしめたまま椅子に座る。
黒崎先輩の手が触れていたときと同じくらい体温が伝わってきて、またも硬直してしまう。
(ああもう、おとなしく曲を作らせてください……)
目をぎゅっと瞑り、膝の上で拳を作る。
どうしてこうなったんだろう。わたしはただ、お二人と曲を作りたいだけなのに!

机の上に広げたままの楽譜に、早く完成させてあげられなくてごめんねと内心頭を下げていると、黒崎先輩と目が合った。
「おい、嫌がってんだろ」
再び黒崎先輩に腕を掴まれ、引っ張られる……と思いきや、
寿先輩も負けじとわたしの腰を抱きしめ、体が二人の間を行き来するかのように揺れる。
どちらも手を離さず、わたしの体は椅子の上、というより寿先輩の上でゆらゆらと揺れることをやめない。
緊張や焦りも綯い交ぜになり、わたしは段々吐きそうになってしまった。

「うう、そんなに揺らされると気持ち悪く……、ふ、二人ともやめてください!」
「え、気持ち悪いの!? 後輩ちゃんもしかしてつわりへぶっ」
顔の横を黒崎先輩の平手が通り抜けたと思ったら、次の瞬間には寿先輩が呆然と頬を押さえていた。
腰を抱く力が緩んだ隙にわたしは足に力を入れ、寿先輩の膝から脱出し、そのまま会議室の隅まで移動して言い合う二人を眺める。

「セクハラだぞ、嶺二!」
「冗談なのに、殴るなんて……嶺二おにーさんはランランをそんな子に育てた覚えはありません!」
「てめえに育てられた覚えはねえよ」
寿先輩は痛そうに頬をさすり、椅子から立ち上がる。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人は大きな子供のようで、ほんの少し和んでしまう。
「まったく、もー。暴力を振るうようなランランには任せてられないな? 後輩ちゃんは、ぼくが育て……いや、面倒を見るから!」
「あ? 何言ってんだおまえ。つか、話聞けよ」

部屋の隅から見守るわたしに、お二人の視線が集中した。
ちょっとだけ冷や汗が出て後ずさろうとするも、背後には壁がありこれ以上視線から逃れられないことに気づく。
「後輩ちゃん、ランランの隣にいるとガブッ! と噛み付かれちゃうよ。ほら、ぼくの隣においで。優しいお兄さんが怖いお兄さんから守ってあげるよ」
寿先輩が星の飛ぶようなウインクをこちらに投げる横で、黒崎先輩が舌打ちをする。
「優しいじゃなくてやらしいの間違いだろ。この前寝言で『春歌ちゃんの肌触りたいなぁ』とか言ってたくせによ」
「ちょ、え、ぼくそんなこと言ってた!?」
いつも飄々としている先輩が珍しく慌て、喋っちゃだめ! というジェスチャーをした後、
ぷくっと頬を膨らませながら隣にいる黒崎先輩を挑発するような笑みを浮かべた。

「ランランこそ後輩ちゃんにあーんなことやこーんなことしたいって考えてるんじゃない!?」
「てめえとは違うんですー」
黒崎先輩は舌を出し、おちゃらけた口調で挑発し返す。
対して、寿先輩は胸元に手を当て、その勢いのまま口を開いた。
「嘘だね! ぼく知ってるんだよ、ランランがこの間持ってたグラビア雑誌、後輩ちゃん似の子が載ってるページだけ開き跡がついてるの」
「な……っ」
今度は黒崎先輩が慌てる番だった……と思いきや慌てたのは一瞬で、腕を組んで口端を釣り上げる。
「ふ、ふん、おれも知ってるぜ。こいつの下着が透けてた時、おまえが前かがみでトイレ入ってったの」
「えっ!?」
思わず胸を両手で隠すけれど、今日の服は下着が透けるような色はしていなかった。
い、いつ透けてたんだろう……というか教えてくれればよかったのに、と半泣きになっているわたしを置いて、先輩たちは相も変わらず言い争っている。
「こーんな可愛い後輩ちゃんの下着が透けちゃってたら誰だってそうなるでしょ!」
「ならねえよ」
「な……っ、ランランの不能!」
「あ?」
「あ、あのあの……」
口喧嘩はヒートアップし、会話の雲行きが怪しくなってきた。
積極的には聞きたくない単語も飛んでおり、耳を塞ぎたくなる。
前言撤回、まったく和まないこの状況を止めるべく、わたしは大きく息を吸い込んだ。
「いい加減にしてください! これ以上そういうことを仰るなら……じ、実家に帰らせていただきます!」
「……」
「……」
室内に沈黙が訪れる。先輩たちは気まずそうに顔を合わせてから、わたしに目を向けた。
「……ごめんね、今言ったのは全部忘れてね」
「……はい」
部屋の隅から元いた場所に戻り、三人別々の椅子に座る。
その後打ち合わせは長引き、結局夜遅くまで会議室に篭ることになった。

***

時計の針が天辺を回る頃、ようやくこの場にいる三人が納得できるような曲が出来上がりはじめた。
「あの……もう夜も遅いですし、一度仮眠取りませんか?」
「そうだな」
黒崎先輩が伸びをしながら頷く。その隣で、寿先輩が椅子から立ち上がる。
「んじゃ、みんなで仮眠室へゴーゴー! だ。その前に、部屋が空いてるか見てくるね」
言ってから素早い動作でドアを開け、寿先輩は会議室から出て行った。

数分後、仮眠室を見に行った先輩が息を切らせながら帰ってきた。
「仮眠室埋まっててさ、一部屋しか空いてないんだけどどうする? 後輩ちゃんぼくと一緒に寝る?」
冗談だと思うけど、予想外の言葉に喉が詰まる。
何と返せばいいのか悩んでいると、黒崎先輩が庇うようにわたしの前に立った。
「おい、嶺二。おれはどこで寝るんだよ」
「ランランはそこのソファでもいいじゃん」
「おれはソファでもいいがこいつとおまえを二人きりにするのはだめだ。嶺二がソファで寝ろ」
二人の間に火花が散る。このままだと昼と同じことを繰り返しそうだったので、一つ提案を上げてみることにした。
「一緒に雑魚寝はどうですか?」


わたしの提案が通り、三人並んで仮眠をとることになった。
今、右隣には寿先輩、左隣には黒崎先輩が寝転がっている。
アラームを掛け、電気も消しさあ就寝というところで、両隣から手を包まれた。
「もうちょっとこっちにおいで」
「おい、こっちこい。さみぃ」
わたしが変に干渉すると、またいがみ合いが始まるかもしれない。
過剰に反応しないのがベストかなと思い、おやすみなさい、と一声掛けたらそれがあまり気に食わなかったようで。
先輩たちは同じタイミングでわたしにちょっかいを出してきた。

寿先輩に握られた手は、先輩の唇が優しく押し付けられ、
黒崎先輩に握られた手は、指先を優しくあま噛みされ……。
わたしは心臓が壊れるんじゃないかと思うくらい、どきどきして眠れなくなってしまった。
「先輩……っ! 早く寝てください!」
「あはは、後輩ちゃんが怒った」
仮眠用のタオルを頭の上まで持ち上げ、真っ赤な顔を隠す。
その暗闇の中で目を閉じていたら、わたしはいつの間にか眠りに落ちていた。

***

ふわふわとした感覚の中、わたしを呼ぶ声がする。
振り向くと、寿先輩と黒崎先輩がわたしの後ろに立っていた。
「先輩?」
二人はわたしに一歩近づき、ファンの人なら一瞬で昇天するような笑みを浮かべる。
「後輩ちゃんはぼくとランラン、どっちが良い?」
「え……」
どっちが良い、と言われても……一体どういう意味で、なんだろう。
言い淀むわたしに、先輩たちがさらに一歩近づき、
「選べねえならおれらはおまえを半分ずつ貰うだけだ」
左右から痛いほどに腕を掴まれる。
半分ずつって……本当に半分ずつ、二等分ってことですか!?
「や、やめてください!」
先輩たちはわたしが叫ぶのも気にせず引っ張り続け、やがて腕は悲鳴を上げ――
そこでわたしは、飛び起きた。

「嫌ですっ!」
悲鳴と共に勢い良く体を起こす。心臓はばくばくと脈打ち、呼吸も荒くなっている。
わたしの声に両隣の二人も飛び起きたのか、心配そうな顔で様子を伺ってきた。
「ど、どうしたの!? 怖い夢でも見た?」
「……」
わたしは無言のまま頷く。
夢でよかったという安心感と、夢の中でまであんなことになるなんてという恐怖感に苛まれ、ぽろぽろと、泣きたくないのに涙が溢れる。
「どうした? どっか痛いのか?」
痛くはないのですが、と前置きを入れる。
どちらかというと、体より心が痛い……なんて言えるはずもなく、わたしは呼吸を整えた。

「半分に裂かれる夢を見てしまって……その、お二人に」
その言葉が引き金となったように、黒崎先輩が寿先輩につかみかかった。
「っ嶺二! てめえがしつけえからこいつが怖がってんじゃねえか!」
「ランランだってしつこいじゃん!」
打ち合わせを始めてからもう何度目になるか分からない言い争いに、わたしはがっくりと俯いた。
「もうやめてください……っ、わたしはただ、寿先輩と黒崎先輩の曲を作りたいだけなんです! それ以上もそれ以下もありません!」
整えた呼吸が再び乱れ、すすり泣きながら仮眠用のベッドを抜け出して先輩たちを見据える。

さすがにまずいと思ったのか、先輩たちが顔を見合わせため息をついた。
「……ごめんね、ぼく達ちょっと大人げなかったね」
「怖がらせちまって悪かったな」
二人揃って頭を垂れる姿は、母犬に叱られた子犬のよう。
わたしは溢れる涙も忘れ、思わず吹き出してしまう。

「なんだかお二人とも、子犬みたいです」
「嶺二のせいで笑われたじゃねえか」
率直な感想を伝えると黒崎先輩がばつが悪そうに眉をひそめ、
「人のせいにしないでよね。ま、後輩ちゃんが笑ってくれたからいいけど」
嶺二先輩は微笑んだ。

「さーて、三人仲良く曲作りますか!」
目の前にいる先輩たちの間には、先程のような空気はなくて。
これならきっと、三人で平和に曲作りが出来ると実感した。