魅惑のピロートーク

行為を終えた後の微睡みの中で、彼の声はわたしの肌に、優しく染みわたる。

次の日がお互いに休み、という日の晩。わたしは、梓さんの部屋……もとい、梓さんと同じベッドの中で微睡んでいた。
「体、辛くない?」
話しかけられてから、うつらうつらしていた思考が段々と明確になっていく。
先程までわたしが梓さんとしていた行為は、恋人同士がすること。
終わった直後。パジャマを着てからも気恥ずかしくて、梓さんの顔を直視できずに顔を下へ向けていたら、いつの間にかうとうとしてたみたいだ。
梓さんは壊れ物を扱うような手つきでわたしの後頭部を撫で、心配そうにこちらを見ている。
わたしを気遣う声色があまりにも不安そうだったから、おずおずと梓さんと視線を合わせた。
「まったく辛くない、といったら嘘になりますけど……幸せです」
言いつつ、鈍痛を誤魔化すように腰をさする。
……初めての時に比べたら幾分かマシだけど、まだ下半身に違和感がある。
まるで、体の奥にまだ梓さんの熱が残っているような感覚。
でもそれは決して激痛を伴うものや不快なものではなくて、むしろ幸福な気持ちになれるものだった。
「僕も幸せだよ」
梓さんはそう言ってわたしのおでこに口づけ、眉と目尻を下げて笑った。

背中に梓さんの腕が回され、わたしもそれに応えるように彼に抱きついた。そのままゆるりと抱きしめられ、お互いの鼓動が聞こえる距離まで密着する。
「さっきのキミ、とても可愛かったな」
頭上から、梓さんの声が降ってくる。
さっき……というのはもちろん、触れ合っている時のことだろう。
それは梓さんの熱い眼差しと、甘い声に責められるような時間だった。
最中のことを鮮明に思い出してしまい、戸惑いと恥じらいに苛まれて、思わずどもってしまう。
「そ、そうですか?」
「うん」
梓さんは頷き、再びわたしの髪を撫で始める。
そして髪を一房すくい上げ、わたしをまっすぐに見据えながら口づけた。
「キミのあんな表情、誰にも見せたくないって思ったよ」
強固な意思が含まれた真剣な声に、心臓が飛び跳ねる。
加速する心音と一瞬で赤くなった頬を隠したくて、梓さんから顔を背けて離れようとした。
でも、梓さんはわたしを抱きしめたまま離してくれない。
「ダメ、もう少し抱きしめさせて」
そう言って眉をひそめて、わたしの髪に、額に、頬に切なそうにキスをするものだから、わたしは硬直して動けなくなった。
「ふふ、可愛いなあ。――好きだよ」
耳に息を吹きかけるような囁きに、体が震える。
わたしは梓さんから顔を隠すことも離れることもできず、真っ赤な顔のまま、精一杯言葉を探して梓さんへ想いを返した。
「……わたしも、梓さんが好きです」
梓さんは「ありがとう」とお礼を言いながら、わたしの顎を持ち上げた。
(あ、キスされる)
そう思って目を閉じても、唇に梓さんの感触は来ず――そろり、と目を開けた途端、目を閉じている梓さんの顔が近づいて、
「んっ……」
触れるだけのあっさりしたキスを落とされた。
普段は目を閉じてキスをする事が多いから、梓さんがどんな表情をして口づけているのかはわからなかったけれど、キスをする時の梓さんはあんな顔をしているのかと思うと……すごく、ドキドキする。
「どうかした?」
「いえ……」
梓さんの笑みは酷く妖艶で、今度は耳まで熱くなってしまった。
きっと、わざとキスのタイミングを遅らせてわたしをドキドキさせようとしたのだろう。
シーツの上で足をもぞもぞ動かしながら、物言いたげに梓さんの目を見る。
そこでふと、こういった時間が訪れる度に、気になっていたけどなかなか聞けなかったことがあったのを思い出した。
「あの、梓さんは」
「ん?」
「……気持ちよかったですか?」
「……」
わたしが勇気を出して尋ねると、梓さんは目を丸くし、黙りこんでしまった。
……それはもしかして、否定の意なのかな。
(わたしがまだ慣れてないから、あんまり気持ちよくないのかも……)
不慣れな自分に落ち込み、焦ってしまう。
だって梓さんはわたしよりも年上で、大人の男性で、今までだってわたし以外の人と関係を持った事もあるだろう。
わたしと過去の人を比べられたら、きっとひとたまりもない。
そう考えたとき、梓さんはわたしの不安を消し飛ばすような応えをくれた。
「……うん。自分でも驚くほど、夢中になるくらいに」
目尻から頬を赤く染めて、それから少しずれた眼鏡をくいっと上げた。
赤くなった頬を隠したいのか、梓さんがわたしから顔をそむけ、ベッドから抜けだそうする。
「喉渇いてない? 何か持ってこようか」
「いえ、あの、」
それより何より、頬を赤くした梓さんを「可愛い」なんて思ってしまって、離れがたくなった。
まだ梓さんの体温を傍に感じていたいし、もう一回、キスをしたい。
普段なら自分からこんな事は絶対言えないけれど、情事の後のこの雰囲気なら、少しのわがままを言っても許される気がする。
梓さんのパジャマの裾を掴み、ちょっと勇気を出してみた。
「えっと……キスしてもいいですか?」
「もちろん」
梓さんはベッドから抜け出すのをやめて、わたしに向き合って唇を重ねてくれた。
唇同士が小さなリップ音を立てて離れたあとに、梓さんは嬉しそうに微笑む。
「キミからお願いされるなんて、何だか新鮮だね。他には何をしてほしい? キミのお願いならなんでも聞きたくなってしまうな」
「いいえ、もう一緒にいられるだけで満足です」
「僕も同じ気持ちだけど……。そうだ、腕枕でもしようか?」
「腕、痛くなりませんか?」
「大丈夫。キミの重みなら喜んで受け止めるよ。といっても、キミは気にするほど重くないし」
だからおいで、と梓さんは自分の腕を伸ばし、その下の空間をぽんぽんと叩く。
わたしはお言葉に甘えて、梓さんの腕に寄り添った。
吐息と鼓動を間近で感じるほどの距離に梓さんの顔があって、わたしの心臓の音はどんどん大きくなる――と思いきや、ここにきてから疲れが出てきたのか、なんだかとても瞼が重くなってきた。
眠そうに瞬きをするわたしを見て、梓さんが寝かしつけるようにわたしの背中を撫でる。
「……まだキミに触れていたいけど、あんまり無理をさせるのもね……。今日は我慢して、また明日、かな」
梓さんの言葉は聞こえるけど、ぼやけた思考の中ではそれに隠された意味に気づけない。
「……?」
まだ頑張って起きていた方がいいかと頭を持ち上げかけたところを、梓さんに牽制される。
「ああ、なんでもないよ。おやすみ、絵麻」

そうして、夜の静けさと梓さんの穏やかな鼓動が、子守唄のようにわたしを包み込んでいった。

   ***

「ん……」
むくりとベッドから起き上がり、目をこする。枕元にある時計を見るとまだ夜明け前だった。
カーテンの隙間からは月明かりだけが差し込み、ぼんやりと部屋を照らしている。
梓さんはあれから、わたしに腕枕をしたまま眠ったらしく、隣でまだ寝息を立てていた。
(あれ……梓さん、眼鏡かけっぱなしで寝てる)
眼鏡を取った方がいいのかと迷ったけれど、下手に顔に触ったら梓さんが起きてしまいそうだ。
うんうんと唸りながら悩んでいるうちに、梓さんの襟元から覗く白い鎖骨に気づいた。
思わず手を伸ばしそうになり、慌てて引っ込める。
いつもより近くで見つめる梓さんの身体は、どこを見ても色気があってつい触れたくなってしまう。
触れると起こしてしまうかもしれないと散々悩んだ末耐え切れず、わたしは呼吸をする度に上下する広い胸元にそっと頬を寄せた。

梓さんと言葉を交わしたり、梓さんと触れ合う度に愛しさがこみ上げてくる。
それは一方的に触れている今のような状況でも同じで、わたしは無意識のうちに乞うような声で彼の名前を呼んでいた。
「……梓さん、大好きです」
誰にも聞かれていない、独り言のように呟いたはずの言葉。
「――うん、僕も」
だからまさか、返事がくるとは想像もしなかった。
驚きのあまり飛び起きて、梓さんの顔を見る。
梓さんはわたしにおはようと挨拶をして、わたしと同じくベッドの上で身を起こした。
「っ! あ、梓さん、いつ起きて」
「たった今だよ。まさか寝てる間に告白されるなんて思わなかったな」
「それは……」
もごもごと言いよどむ間に梓さんは立ち上がり、キッチンの電気をつけていた。
わたしはまさか独り言を聞かれてるとは露ほども思っていなかったので、恥ずかしさのあまり思いきり枕に顔を埋める。
それからちょっと経ってから、紅茶のいい匂いが漂ってきた。
枕から顔をあげると、どうやら梓さんが紅茶を入れてきたらしく、わたしにティーカップを差し出してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ティーカップを受け取り、心を落ち着ける為にも温かな紅茶を飲む。
梓さんも隣に腰掛け、わたしと同じように紅茶を飲んでいた。

紅茶を飲み終える頃になって、梓さんがわたしの顔を覗きながら口を開いた。
「ねぇ。……また、してもいい?」
「何をですか?」
そう聞くと、梓さんはわたしが手にしていたティーカップをテーブルの上に置いて、唐突にわたしを押し倒した。
突然のことに目をぱちくりさせていると、梓さんは昨日と同じ色気のある笑みを浮かべた。
「こういうコト」
梓さんの綺麗な指がわたしのパジャマの裾を捲る。
裾から冷えた空気が入り込んできて、びくりと体が跳ねた。
「ええっ」
「キミがあまりにも可愛いことをするから、したくなっちゃった」
でも、と言いかけた唇が塞がれる。
触れるだけではない熱のこもったキスに、わたしの体はすぐに火照り始めた。
「今日が休みでよかった」
梓さんはそう言って、掛けていた眼鏡を外した。

「今度は昨日より、もっと気持ちよくさせてあげるからね」
その言葉の後に幾度と無く甘いキスが降り注いできて、わたしは結局抗えないまま梓さんに身を委ねた。

わたしを抱く梓さんの手は、何よりも力強くて、だけど優しい。
梓さんの切羽詰まった息遣いを間近で感じながら、「幸せだな」と心の中で呟いた。