落葉

ふと、外の空気が吸いたくなった。

同じ屋根の下で暮らすHE★VENSのメンバーが全員外出していたので、自室にこもって台本の下読みをしていた瑛二だったが、だんだんと集中力が途切れてきた。
(ちょっと休憩しようかな……)
息抜きがてら中庭に出ると、秋風に身を包まれる。
深呼吸をすれば新鮮な空気が全身に染み渡り、凝り固まっていた脳がゆっくりと解れていく。
瑛二はそのまま近くに設置してあるベンチに腰掛け、何をするでもなくただぼうっと空を見上げた。
澄み切った夕暮れの空にぽつぽつと浮かぶ白い雲は、案外流れが早い。
何気なくそれを目で追っていると、空いた隣のスペースに誰かが腰を下ろした。
「鳳さん、こんにちは」
「七海さん?」
視線を横にずらすと、控えめに微笑む春歌の姿があった。
今日彼女が事務所に来るとは聞いていなかったので驚きに目を丸くする。
瑛二の反応を見た春歌は、申し訳なさそうに眉を下げて鞄から紙束を取り出した。
「急に来てしまってすみません。近くに寄ったので、新曲の譜面を渡そうと思いまして」
「ああ、そうだったんですね」
近日リリースするHE★VENSの新曲は、作曲を春歌に依頼していた。
聞いていた予定ではデモ曲が完成するのはまだ先のはずだが、かなり早く仕上げてきたようだ。
渡された譜面に軽く目を通す。年齢は自分とさほど変わらないはずなのに、彼女の実力は見事なものだった。
これまでの功績を考えるとまさに天才肌と称していいのだろう。
(七海さんは凄いな……)
こっそりと春歌の顔を伺う。彼女は譜面を見た瑛二の様子が気になっていたようで、上目遣いでそわそわとしていた。
女の子らしい仕草に不覚にも胸がときめき、それを誤魔化すべく瑛二はそっと息を吸って微笑みを浮かべた。
「ここで話すのも何ですし、よかったら部屋に上がっていってください。俺以外は留守なので、少しつまらないかもしれないけど」
「いえ、そんな……鳳さんとお話できるだけで、すごく嬉しいです」
遠慮がちにはにかんで首を振る姿が何ともいじらしく、心臓は音を立てて加速する。
(……今日の七海さん、いつも以上に可愛く見える。どうしてだろう?)
瑛二にとって、本日の春歌は普段以上に愛らしく見えた。
いつも彼女と会う時は他のメンバーが一緒にいる事が多かったので、珍しく二人きりという状況が影響しているのだろうか。
そう考えている間に少し強い風が吹き、彼女の肩口で切り揃えられた髪を静かに揺らす。
このままでは身体を冷やしてしまうかもしれない、と立ち上がろうとした時、どこからか舞い落ちてきた紅葉が彼女の頭に乗った。
「あ……」
その光景を偶然目撃してしまい、小さく口を開ける。すると、春歌は不思議そうに小首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「七海さんの髪に落ち葉が……今取りますから、動かないで」
「は、はい」
手をかざすと、彼女は緊張しているのかぎこちなく目線を彷徨わせた。
身を乗り出すと少しだけ距離が接近して、長い睫毛が頬に影を落とす瞬間を見てしまう。
(……少し、ドキドキするかも)
初めて間近で見る彼女の肌は白く、思わず触れたくなるほど柔らかそうだった。
この頬に指先を滑らせたら、春歌はどんな反応を返すのだろうか。驚くのか、それとも――
一瞬で様々な事を想像してしまい、瑛二は戸惑いを隠しきれなくなる。
「あの、鳳さん?」
「す、すみません……」
我に返って手を引いた時、春歌の髪が風になびき、ついていた紅葉がはらりと落ちていった。
紅色の葉が地面に落ち、土の上に乾いた音を立てて降り立つ。
下に向けていた視線を上げるとほんのりと頬を染めた彼女の顔が傍にあって、瑛二は密かに息を呑んだ。
「……落ち葉、取れましたよ」
「ありがとうございます」
できる限り平静を取り繕って話すと、春歌は柔らかな笑みを瑛二に向けた。
その表情は見つめているだけで胸の奥がくすぐったくなるもので、瑛二も釣られて顔を緩める。
「それじゃあ、行きましょうか」
ベンチに座ったままの彼女に手を差し出すと、春歌は少しだけためらいながらも瑛二の手を取る。
おずおずとした動作で手の上に乗せられた細い指先は温かく、瑛二はより強く春歌の体温を意識してしまうのだった。