お酒は二十歳になってから

外でまほちゃんと夜ご飯を済ませ、サンライズ・レジデンスへ帰ったのは日付も変わった頃だった。
普段なら五階のリビングにはもう誰もいない時間。
でも、今晩はまだ明かりがついているのが外から見えた。
エレベーターに乗り、自室のある四階ではなく五階まで上がってリビングを覗く。
「絵麻、おっかえりー!」
「おかえり、絵麻」
「ただいま帰りました」
リビングでは、椿さんと梓さんが二人で晩酌をしていた。

自室に戻る前に温かいお茶でも飲もうと、キッチンへ行くついでにちらっと二人の方を見る。
テーブルの上にはすでに何本かのお酒が空けられていて、おつまみも少なくなっていた。
(椿さんと梓さんがこんなに呑むなんて、珍しいかも)
お正月やクリスマスとか、そういった特別な日以外でこの量を呑むなんて初めて見た気がする。
何かお祝いごとでもあったのかなと思いつつお湯を沸かしていたら、椿さんがキッチンへ入ってきた。
椿さんはワインセラーから新しいボトルを出し、ワインオープナーを手に取る。
どうやら、まだまだお酒を呑むらしい。
わたしはワインオープナーでコルクを抜こうとしている椿さんに問いかけた。
「おつまみ、新しく作りましょうか?」
「んー? へーきへーき、まだ買ってきてあるし……って、うわっ」
へらっと笑ってそう答えつつ、コルクに挿したワインオープナーを少し無理やり引っ張り上げる。
すると、コルクが抜けた際に中身が飛びだして、わたしの顔に白ワインがかかってしまった。
ばしゃんと顔にかかったワインは、アルコール度数が高かったみたいで、匂いだけでもくらっとする。
「やっべー! ごめんな、絵麻」
大丈夫ですと言いたいのに、強いアルコール臭に酔い始めて、だんだんふらふらしてきた。
足元がおぼつかないわたしを見て、梓さんが溜息をついてソファから立ち上がる。
「もう、椿ったら……。絵麻を部屋に送ってくるから、そこ片付けておいて」
梓さんがそう言うと、椿さんはいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「送り狼になるなよー?」
「椿」
「……冗談だって」
冷たい声で椿さんをなだめ、梓さんはわたしの肩を抱いてきた。
「大丈夫? 部屋に戻ろう」
こくり、と頷いて、梓さんと一緒にリビングを出た。

リビングを出た後、梓さんはそっとわたしの手を握った。
きっと椿さんの前で手を繋いだらからかわれてしまうから、二人きりになるまで遠慮していたんだろう。
(梓さんの手、温かいな)
温かな手を握り返して、エレベーターに乗り込む。
梓さんに支えられて、わたしは自分の部屋へ戻った。


「ごめんね、椿が調子に乗ったから……」
部屋に戻って早々、梓さんがわたしの顔にかかったワインを拭ってくれた。
顔を拭いてもらってる間にもワインの匂いが鼻に充満して、直接飲んでいないのに更に酔ってきた……ような気がする。
そう思うとさっきよりも足元がふらついてきて、梓さんにもたれかかってしまった。
(……なんか、ふわふわしてきた)
梓さんのシャツをきゅっと握って、彼の顔を見上げる。
「……絵麻?」
どうしたの? と梓さんが首をかしげた。
ふわふわ浮かんでいるような思考の中、今ならいつも言えないようなことでも、言える気がした。
「えへへ……。梓さん、だいすきです……」
常々思っているけど、なかなか言えない気持ちをまっすぐに伝える。
ついでにぎゅっと抱きついてみると、その場に押し倒されて唇が重ねられた。
ついばまれるように口づけをされ、息が上がり始める。
唇の割れ目から舌が侵入してきた時、お酒の匂いがより強まった。
(ちょっとお酒くさいかも……。梓さんも、酔っているのかな)
見ただけではわからなかったけど、空いていたお酒の瓶の本数からして、梓さんも相当酔っ払っているのかもしれない。
「……梓、さん……っ」
性急な動きに押され、されるがまま梓さんを見る。
彼は最初はぼんやりとした顔をしていたけれど、すぐ我に返ったようにわたしから顔を離した。
「――ごめん、僕もすこし酔ってるみたい」
梓さんはそう言って、わたしの肩口に顔を埋めた。はぁ、と耳元で息を吐く音が聞こえる。
「酔った勢いなんかで、キミにこんなことしたくない。……もっと大事にしたい」
梓さんの呟きがじわりと沁みる。その声音はすごく切なそうで、心臓がドクンと音を立てて跳ねた。
「キミはお酒に弱いんだね。それとも、慣れてないだけかな。……当たり前か、まだ未成年だもんね」
いつもより饒舌な梓さんの言葉に、わたしは耳を澄ませた。
「僕以外の男がいる前で酒を飲まないでとはいわないけど、ふらふらになるほど飲まないで」
「……はい」
ゆっくり頷くと、梓さんが笑む気配がする。直後、彼はわたしの顔を覗きこんで眉を下げた。
「キミが心配なんだ。――束縛してるかな」
その問いには、首を振った。
「そんなこと、ありません」
梓さんはわたしを気にかけてそういう事を言ってくれてるんだって、きちんと分かっているから。
直接飲んだわけではないのにすぐにふらついたってことは、わたしはお酒に強くないんだと思う。
だから今の言葉は、『束縛』じゃなくって『心配』なんだろう。

彼の優しさにぐっと喉が詰まりそうで、酔った人が泣きやすくなる理由がなんとなく理解できた。


それからわたしは、梓さんに手を引かれて自分のベッドへ腰を掛けた。
「……そろそろ戻らないと、また椿に何か言われちゃうな」
おやすみ、とおでこに梓さんの唇が触れ、彼の体温が離れていく。
それが無性に寂しくて、わたしは梓さんのスーツの裾を指先で軽くつまんだ。
「……行っちゃうんですか?」
理性がぼやけた今なら、きっとなんでも言えるし、なんだってできてしまう。
謎の自信に背中を押されて、一人になるのは寂しいと目でじっと訴えてみると、梓さんは観念したように眼鏡をかけ直した。
「……分かった、もう少しここにいるよ」
そう言って、わたしの左隣に腰掛ける梓さん。
太ももの横に置かれた梓さんの手を握って、自分の頬に当てる。
梓さんのぬくもりが伝わってきて、胸の中まで温かくなった。

使い慣れていて、安心できるわたしの部屋。
大好きな梓さんの温度が傍にあって、大好きな梓さんの香りも漂っている。
この空間には、わたしが安堵するものがたくさんある。
そう思うと、なんだか急に眠たくなってきた。
握った手はそのままに、梓さんへこつんと寄り添って目をとじる。

「……いつも、そんなふうに甘えてくれたらいいのに」
梓さんがため息とともに、そんなことを呟いたのが聞こえた。

少し経ってからとじた瞼に梓さんの柔らかい唇が触れたけど、もう瞼が重くて重くて、それ以降は起きていられなかった。



翌日。 とても幸せな夢を見た気がして、目覚めは最高の気分だった。
梓さんが寝る直前まで傍にいてくれて、その体温にすごく安心したのを微かに覚えている。

シャワーを浴びようと五階に行くと、リビングには二日酔いでぐったりしている椿さんの姿があった。
椿さんがわたしに気づいて、だるそうに頭を上げる。
「……あ、絵麻。おはよー……」
「おはようございます。……梓さん、寝ちゃってますね」
「ああ、梓はねー、二日酔いで動けないみたい」
椿さんの横では、梓さんが倒れこむように眠っていた。
テーブルの上には飲みかけの水と薬が置いてある。
どうやら薬を必要とするほど、二人とも二日酔いがひどかったらしい。
「梓、昨日キミを部屋に送っていったじゃん? 結構時間が掛かってたから、何してたんだよって尋問しながら酒飲んでたらこのザマでさー」
「梓さんが二日酔いになるなんて、珍しいですね」
「ははっ、だよねー。 酔いつぶれても、まったく白状しなかったんだよ。……で、結局何してたの?」
「な、なにもしてません!」

言葉の通り、怪しいことは何もしていない……はず。
でも、酔った勢いでぐだぐだに甘えてしまったことを思い出して、わたしは赤くなった顔を慌てて隠した――