シークレット・ガール

「唯ちゃんに良いお知らせがありま~す!」
楽屋に入ってきて早々、月宮先生がニコニコ顔で俺に声をかけてきた。
カツカツとヒールの音を響かせて傍に駆け寄り、満面の笑みで俺の手をつかむ。
「なんと、あなたにCDのオファーがきました! おめでとうっ」
「え、俺に……ですか?」
突然月宮先生から出た言葉に、俺はバカみたいにあんぐり口を開いてしまう。
「そうそうっ! 細かいことは来週スタッフと顔合わせするときに説明されるから、よろしくねっ。はいこれ、詳細」
月宮先生は概要やら顔合わせ場所やらが書かれたプリントを俺に手渡し、
それじゃあね~と呑気な声で挨拶をして楽屋から出て行く。
その後姿を見届けてから、俺は金髪の長いウィッグをかき上げて、椅子にどかっと座った。

小傍唯。今をときめく17歳の新人モデル――って、よく誌面にはかかれてるけど。
来栖翔。それが俺の、小傍唯の本名だ。

一年とちょっと前。俺はアイドルを目指してアイドルコースと作曲家コースのある早乙女学園へ入学した。
入学後は順調に学園生活を過ごし、テストの成績も上位に食い込むことができていたから、このままいけばデビューも夢じゃないと思っていた。
そして、卒業オーディション間近のある日。
絶対に夢をつかんでやる! と意気込んでレッスンをしていたとき、事件が起きた。

当時パートナーを組んでいた作曲家コースの奴が、色々やらかして即退学。
学園の卒業オーディションでは作曲家コースの生徒が曲を作って、アイドルコースの生徒がその曲を歌いパフォーマンスするという流れだったのに、
あっという間に自分一人きりになってしまった。
俺は「絶対にアイドルになりたい!」と、それまで努力していたわけで。
こんなところで終わるわけにはいかず、なんとか先生たちに頼み込んで一人で卒業オーディションを受けた。
けど、パートナーの点数が加算されなかったのが不利になり、アイドルとしてデビューはできず……。
うなだれていたところ、見かねた他クラスの担任・月宮先生が俺に声をかけてきた。
「ねぇ翔ちゃんっ。アイドルじゃなくて、モデルやってみない?」
「え」
アイドルじゃなくて、モデル?
首を傾げて、月宮先生の言葉の続きをうながす。
「翔ちゃんなら良い線いくと思うのよ~。軌道に乗ったら、今度はCD出したりしてアイドルとしてデビューできるかも!」
月宮先生は名案だと言わんばかりに手をあわせ、にっこり笑う。

モデルとして仕事して、ある程度知名度があがったらCDを出してアイドルデビュー……。
そんなこと、叶うのか?
胸の奥に不安感を抱いたけど、せっかくのチャンスを無駄にしたくない。
俺は月宮先生の目をしっかりと見て、強く頷いた。
「やらせてください!」
「ただし一つ条件があるわ」
にこにこした顔から一転、真面目な顔をする月宮先生。
そしてまた笑顔を浮かべて、とんでもないことを言い出した。
「アタシみたいに、女装して活動してね!」
その言葉の破壊力ときたら、卒倒しそうになるくらいのレベルだった。

衝撃的な言葉だったけど、当時の俺にとっては鶴の一声だったわけで。
結局、俺は月宮先生の紹介で「小傍唯」という芸名でモデルとして活動することになった。
自分の本当の性別は、伏せて。

そんなこんなで、俺は今日もモデル活動に勤しんでいた。
俺の本来の性別を知っているのは、学園時代の講師と、それから一部の友人だけ。
スタッフやファンの人にはバレないように細心の注意を払って撮影に励んでいる。
……みんなを騙しているような気がして、正直、時々後ろめたくなる。

でもアイドルになるチャンスがあるならそれを掴みたい一心で、こつこつとモデルとして活動して……、
そして今日、ついにCDのオファーがやってきた。

「まじでCD出せるのか」
誰もいないのをいいことにちょっと大きな声で独りごち、伸びをする。
もしこれで人気が出たら、本当にアイドルになれるかもしれない。
学園時代の同期は既にアイドルデビューしている奴もいたし、俺のようにモデルをやっている奴もいて、
ほとんどが活躍していたから、内心ちょっとだけ焦ってた。
(今までこつこつ頑張ってきてよかったな……)

……ってか、今まではあんまり喋らないようにしてたから、女装もバレなかったけどさ。
CDを出すって事は、一曲二曲丸々歌うってことだろ?
一言二言話すだけじゃないから、声で女装がバレるんじゃ……。
もし女装がバレたら、ファンの人達や周りの人にどう思われるか。
もしもの未来を想像して、鏡に映る自分の顔が青くなるのが見えた。
どうすんだよ! と頭を抱えても既に遅い。
月宮先生の様子を見るに、CDのオファーを断るなんてありえないという感じだろう。
俺自身も、やっと掴みかけた夢だから断りたくないと思う。

どうにかして高めの声維持しないとな! なんて半ばやけになって、自分の頬を思いっきり叩いた。
――よし、痛みと一緒にやる気も入った気がする。
(ここまで来たんだ、絶対にアイドルになりたい。その為には歌の一曲や二曲、女装したまま歌ってやろうじゃねーの!)
心のなかで決心を固め、化粧を落としてウィッグを外す。
地毛を整えてから私服に着替えて帽子をかぶり、俺は人目につかないタイミングで楽屋を出た。

***

CDのオファーがきてから数日後。
とうとうスタッフと顔合わせの日がやってきた。
(男だってバレないように気合いいれてかねーと)
咳払いをして、のどの調子を整える。
うっかり素の声で喋ったりなんかしたら、きっと大騒ぎだ。
……撮影の合間の一言二言くらいなら誤魔化せてきたけど、これから大丈夫なんだろうか……。
そんな不安を振り払うように頭を横に振って、俺は会議室のドアノブに手をかけた。
「おはようございまーす」
今日はよろしくお願いします、とにっこり笑顔で挨拶をして席につく。

少し狭い会議室の中には、椅子が四つ出ていた。
俺の隣には月宮先生が、その前には芸能プロダクションのスタッフであろう人が座っている。
目の前にも空いている席があったけれど、まだ誰もいない。
(椅子は四つ出てるけど、打ち合わせは三人でするのか?)
――と、思いきや。ゆっくり扉が開いて、一人の女の子が会議室に入ってきた。
「お、おはようございます!」
女の子は声を裏返しながら、目の前の席に腰掛ける。
(あれ? こいつって……)
見覚えのあるその姿と声に、心臓が跳ねそうになった。
表情は変えず、記憶を掘り返して彼女とどこで会ったかを確認する。

……思い出した。早乙女学園に在学中、友人の渋谷と同室だった女の子だ。
名前は確か、七海春歌。
「七海春歌です。本日はよろしくお願いします」
七海は緊張しているのか、震えそうな声でそう言ってぺこりとお辞儀をした。


「じゃあ皆揃ったことだし、ちょっと早いけど打ち合わせ始めちゃいましょ」
と、月宮先生の一言で打ち合わせが始まった。
内容を聞いたところ、どうやら今度俺が掲載されるファッション雑誌のCMを放映するらしく、
CM用に七海が書き下ろした曲を俺が歌い、それがCDとして販売されるとのことだった。
(他にもモデルさんはたくさんいるのに、俺でいいのか?)
そんなことを思いつつ、スタッフの説明に耳を傾ける。

説明を受けている最中も、視線だけは目の前にいる彼女に釘づけになっていた。
彼女はといえばスタッフの言葉をメモすることに必死のようで、俺とはほとんど目が合わない。
「――ということで、よろしくお願いします」
スタッフの挨拶で打ち合わせが締めくくられる。
俺はひとまず正面にいるスタッフに向け、笑顔で相槌を打った。
「はい、よろしくお願いします」
お互いに会釈をし、会議室を出る準備をしていると、スタッフが月宮先生に視線を投げた。
「ところで、月宮さん。別件のお話があるのですが」
「あら、そうなんですか? じゃあちょっと外でお話ししましょ。……唯ちゃんと春ちゃんは、しばらくこのまま待機しててねっ」
月宮先生は俺達にそう言って、スタッフと一緒に会議室から出て行ってしまった。

こうして、会議室内には俺と七海だけが取り残された。
普段女の子と二人きりになるなんて機会ないから、ちょっとそわそわする。
(どうしよう? なんて話しかければ……)
彼女は黙ったままノートにメモを書き加えていたけれど、静かな空気に耐えられなくなったので、沈黙を崩すように話しかけることにした。
「えっと……七海さん、初めまして。小傍唯です。どうぞよろしくお願いします」
七海の視線が、ノートから俺に移される。
目と目が合った後、おもむろに彼女は口を開いた。
「はい、よろしくお願いしま……」
けれど、唐突に言葉が途切れる。
そして俺の顔を凝視してから、ハッとしたように手をぱたぱたと振った。
「あっ、すみません! なんだか学園時代の同級生に似ていたので」
「同級生に、似てる?」
聞き返すと彼女は頬に手をあてて、照れながら苦笑いを浮かべた。
俺はといえば、突然の出来事に動揺して笑顔を保てずにいた。
学園時代の同級生って事は、女装してない俺のこと……だよな?
(まじか。まさか七海が俺のこと覚えてくれてるなんて、思いもしなかった)
どうしよう。すっげー嬉しい。
にやけそうになる頬を必死におさえ、ふたたび笑顔を取り繕う。
(俺もお前のこと覚えてるよ)

――Aクラスの、七海春歌。
おとなしくてあまり目立たない女の子だけど、渋谷とよく一緒にいたから気にはなってた。
七海の作曲センスは抜群で、よくSクラスの方でも話題になっていた、
あんなにおとなしそうなのに、熱い音楽を作る生徒だと。
……こいつも確かパートナーが退学になったけど、一人で卒業試験受けてたんだよな。
だから、もしクラスが一緒だったらパートナーを組みたかったなと一方的に思っていた。
思っていただけで、ほとんど話しかけることもなかったけど。

「その人は男の人なのに、変ですよね。すみません」
しゅんと肩を落とす七海に、気にしないでと笑いかける。
まあ本人だし似ているのは当たり前だから。という言葉は喉元でなんとか止めた。
これから小傍唯としてCDを出すんだから、今七海に「俺がその同級生だ!」とか言おうもんなら大変なことになる。
ひとまずは、穏便に挨拶を済ませておこう。
「それはさておき、今回はどうぞよろしく。あ、俺……じゃなくて。私の事は、唯って呼んでね」
高すぎず低すぎないトーンの声で話しかける。
ついでに握手をしようと手を差し出すと、七海は迷わず俺の手をきゅっと握ってきた。
「はいっ! よろしくお願いします、唯ちゃん」
そう答える七海の笑顔はすごく眩しいし、手から伝わる温度も心地よいくらい温かくて。
俺は、なぜだか自分の頬が熱くなるのを感じた。