シークレット・ガール

「先日はありがとうございました」
楽屋で撮影が始まるまで待機していると、扉をノックする音の後に入ってきたのは春歌だった。
今日は打ち合わせをする予定はなかったけど、他の仕事でこのスタジオの近くを通りかかったので、そのついでに俺の曲の音源を届けに来てくれたそうだ。
春歌の服装を見て、俺は口笛を吹いた。
一緒に買い物をした時、俺が選んだワンピースを着ていたからだ。
「ワンピース、似合うじゃん」
「えへへ、ありがとう」
惜しむらくは、生足じゃなくて黒のストッキングを履いているところぐらいで……
って、何考えてんだ、俺。
見てみたい気持ちもあるけど、実際に生足だったらやばいだろ。色々と。
一人で悶々とする俺に気付かず、春歌が話を振ってきた。
「そういえば、今日隣のスタジオではわたしの友達も撮影するみたいで」
「友達って、渋谷のことか?」
「はい。トモちゃんのこと、ご存知なんですか?」
「う……ん、まあね」
知ってるも何も、同期だったしな。
「よく現場が一緒になるから、顔見知り」
と答えれば、七海は納得したように頷いた。
「そうだったんですね。わたしは、トモちゃんと学生時代に寮が同室だったんですけど」
「へぇ」
そんなことはとうの昔に知ってるけど、あいづちを返す。
「トモちゃんは、綺麗だし可愛いし、時にはかっこいい所もあるので……憧れのお友達なんですっ」
春歌はぱあっと顔を輝かせて、渋谷について嬉しそうに話している。
(渋谷のことばっか褒めてるな、こいつ……)
そのことがなんとなく気にくわなくて、唇を尖らせてうつむいた。
(俺のことやたら可愛いって連呼するけど、本当は俺だってかっこいいって言われてえよ)
もし俺が女装していなければ、言ってもらえたんだろうか。
春歌になら、本当の性別を明かしてもいいんじゃないだろうか。
そろそろ、黙っているのも心苦しくなってきたし。
きっと春歌なら、受け止めてくれるだろう。
俺だけでは抱えきれない秘密を、共有してくれるはずだ。
(……いや、違う)
小さく首を振り、自分の中で押し問答の末に答えを見つける。
(春歌にだけは、本当の俺を知ってもらいたいんだ)
湧き上がる感情のおもむくまま、春歌の肩を掴む。
「春歌」
「え、唯ちゃん……?」
春歌の瞳が、戸惑いに揺れる。
まっすぐにその瞳を見つめ、深く息を吸った。
「俺、本当は……っ」
――男なんだ、と口にする直前。
慌ただしくノックの音が響き、返答を待たずに扉を開けられる。
「翔ちゃーん、この後なんだけど」
振り向かなくてもわかる、この声は隣のスタジオで撮影していたという渋谷のものだろう。
「あれ、何してんのよ」
ハッと我に返って、目の前にいる春歌の表情を見る。
春歌は耳まで真っ赤になっていて、気がついたときには俺の腕の中からすり抜けていた。
「えっ、春歌?」
「おい、待っ――」
渋谷は楽屋に春歌がいるとは知らなかったのだろう。
しまったとでも言いたげな顔をするけど、渋谷が呼び止めるより先に春歌は楽屋を飛び出していった。
大きな音をたて、部屋の扉が閉まる。
楽屋の中に取り残されたのは、俺と渋谷の二人だけ。
――やっちまった、と思った。
まさかあんな風に逃げられるとは思わなかった。
俺に肩を掴まれたの、よっぽど嫌だったんだろうな。
「なんか、邪魔しちゃった? ごめんね」
両手を合わせて謝ってくる渋谷に、俺は首を振った。
「いや、謝んなよ。渋谷のせいじゃねえし」
謝られると、余計みじめになるし……。
くそ、何してんだろう、俺……。


それから、数日経った。
「次の撮影まで、まだ結構時間があるな」
楽屋での待機時間、備え付けられたテーブルにぐったりと伸びる。
あれきり、春歌とは顔を合わせていない。
曲の改善点をメールしたら一応返信は来たから、避けられてるわけじゃなくて単に都合があわないだけ……なはずだ。
というか、そう思いたい。
「どうすりゃいいんだよ、もう」
今後も顔を合わせる必要があるのに、完全に気持ちが焦ってしまった。
今日も楽屋で軽く打ち合わせをする予定だけど、目すら合わなかったらどうしよう。
「くっそー……」
重いため息を吐いて、強く目を閉じる。
(やべ、眠くなってきた……)
最近特にモデルの仕事が忙しかったから、気を抜いたらすぐに眠気が襲ってきた。
真っ暗な視界の中で浮かぶのは、やはり春歌のことで。
そういえば、学園時代に一度だけ春歌と話したことがあったな、なんてふと思い出す。

確か、夏の熱い日だった。
食堂で昼飯を食べてたら、近くを通りかかった女子がハンカチを落としていった。
「あ、おい」
呼びかけても聞こえなかったのか、女子生徒は食堂から出て行く。
慌てて追いかけて、出口の傍でようやく彼女を呼び止められた。
「なあ、ハンカチ落としたぞ」
「え……? あ、わたしですか?」
周囲には誰もいないのに、ご丁寧にきょろきょろと周囲を確認する彼女。
すげー真面目な奴なんだなって思いながら、ハンカチを手渡した。
「ほら」
「ありがとうございます」
そのときにふれた細い指は、白くてすこしひんやりしていて。
普段女子の手なんか触らないからすごくドキドキした。
彼女はハンカチを受け取って、思わず見惚れてしまうような笑顔でお辞儀をして去っていった。
その女子生徒こそ、春歌だった。
在学中にした会話らしい会話はこれっきりだったけど、まさか卒業後こんな形で再会するなんて思わなかったな――

「んー……」
ゆっくりと意識が覚醒し始める。
楽屋で一人きりなのをいいことに、つい寝ちまったみたいだ。
(やべ、寝てた……)
夢の中でも春歌のこと考えてるとか、もう末期かもな。
まだ時間はあるはずだし、もう少し寝ていようかと誘惑に負けそうになった時。
ふわ、と甘い香りが漂ってきた。
(すげーいい匂い……)
誰かが傍にいるのか、と目を開く。
すると、なぜか春歌の顔が眼前のかなり近い位置にあった。
「わ……っ」
飛び起きて椅子から転げ落ちそうになるところを、なんとか堪える。
「な、春歌!? いつからそこに」
「す、すみませんっ、寝てる間に勝手に入っちゃって。呼びかけても返事がなかったので、まだ誰もいないのかと……」
寝起きのぼんやりとした頭で、そういえば楽屋の鍵しめてなかったと思い出す。
「いや、そもそも鍵しめてなかったのが悪いし……」
ふあ、と気の抜けたあくびが出たので、手のひらで口を覆う。
(やべえ、気まずい)
この前あんな事しちまったし、どんな顔をすればいいんだ。
何も言えずにいると、春歌は鞄を持って俺から一歩離れた。
「あの……出直してきますね」
「え――待って」
懇願するように春歌の手を掴む。
ここで別れたら、また当分会えない気がする。
もやもやしたまま、顔を見られなくなってしまうのは嫌だ。
それに、真実を告白するしないは置いておいて、まずは謝りたかった。
「この前のこと、だけどさ」
俺の手の下で、春歌の手がぴく、と反応する。
次に降ってきた言葉は、なぜか謝罪のそれだった。
「……ごめんなさいっ」
「え、何が?」
どうして春歌が謝るんだ?
謝らなきゃいけないのは、俺なのに。
思わず怪訝な顔をしていると、春歌は視線を泳がせ、やがて俺を見た。
「唯ちゃんは女の子なのに、あの時とてもかっこよくみえて、ドキドキしたんです。それでどうしたらいいか分からなくて、いきなり出て行っちゃって……っ」
どうやら春歌は、急に楽屋を飛び出したことを謝りたかったらしい。
驚かせたのは俺なんだから、気にしなくていいのに……。
本当、びっくりするぐらい真面目だよな。
そんなところも可愛くて、頬が緩みそうになる。
掴んでいた春歌の手を、余計に離したくなくなった。
「今も、すごく緊張してて……息をするのも苦しいくらい」
さっきの言葉といい――自意識過剰かもしれねえけど、まるで俺を意識してる、みたいな……。
「こんな気持ちになるなんて、初めてで。どうしたらいいか……」
「俺のことで、そんなに悩んでくれてたんだな」
「?」
ぽつりと呟いた言葉に、春歌の潤んだ瞳が丸くなる。
「……本当はこの前、言おうと思ってたんだ」
実は男だって告げたら、驚くだろうか。
……驚くだろうな。
でも、これ以上隠してはおけない。というより、俺が隠しておきたくなかった。
春歌には隠し事をしたくない。
春歌には、本当のことを知ってもらいたい。
だって俺は――目の前にいるこいつが好きだから。
よくドジを踏むけど、音楽に対しては誰よりも熱意を持っていて、まっすぐで――最高に、可愛い奴。
ウィッグを外し、視線を床に向けて地毛を軽く整える。
「……」
ここまで来たというのに、一瞬決心がにぶる。
今なら「実はこれウィッグなんだ」と笑ってしまえば誤魔化せるぞ。
少しの間、うつむいたまま床を見つめて、視線をさまよわせる。
「唯ちゃん……?」
困惑した春歌の声が聞こえる。
俺は勢いよく顔をあげて、春歌の目を真正面から見据えた。
「私……じゃなくて。俺、本当は男でさ。女装してモデルしてたんだ」
「え――」
「ずっと騙してて悪かった」
よほど衝撃的な発言だったのか、春歌の動きが完全に止まる。
「…………」
痛いくらいの沈黙が、どれくらい続いただろう。
体感ではずーっと続いてる気もするけど、時計を確認したら一分もたっていなかった。
春歌は黙ったまま、俺を見つめている。
言わなきゃよかったか、と後悔をしかけた時、春歌が口を開いた。
「あの、もしかして」
「うん」
彼女は目をぱちくりさせて、俺へ一歩近づく。
「来栖翔くん、ですか?」
「ああ。覚えててくれて、嬉しい」
そういえば、初めて唯として顔合わせをした時も、春歌は俺と唯が似てるって話をしていたな。
「驚かせてごめん」
「いえ、事情があってのことだと思いますし……」
春歌はそう言いつつ、俺をまじまじと見つめてくる。
うわ、なんかすっげー恥ずかしい……!
「あの、だからさ。結局のところ、言いたかったのはだな」
「はい」
「俺は女装してただけで中身は普通の男だし、お前がその……ドキドキしたり、そういう風になるのは、おかしくねえってことで」
「……はい」
「それで、その」
後先考えずに性別を告白したことを後悔する。
必死に頭を働かせても、何もいい言葉が出てこねえ……!
「……そっかぁ」
頭を抱える俺をよそに、春歌はふにゃりとした笑顔になる。
「唯ちゃんのことを考えると、胸が苦しくて、熱がでたみたいにほっぺが熱くなって。でも、相手が男の子の翔くんだったからこんなにドキドキしたんですねっ」
深い意味はないのかもしれないけど、春歌の言葉に俺まで頬が熱くなる。
……それって、やっぱり俺のことを意識してるってことだろうか。
(いや、俺の勘違いか?)
そう思いつつも、春歌はそれ以上特に何も言ってこない。
一方の俺も、好きという一言がなかなか出てこなくて。でも――
ええい、ここは男らしく!
「春歌!」
「は、はいっ」
春歌の肩をつかみ、顔を近づける。
「唯としてじゃなく、来栖翔としてお前に伝えたかった」
勇気を振り絞り、深く息を吸う。
告白なんてしたことねえから、声が震えそうだ。
でも何とか歯を食いしばって、気持ちを伝える。
春歌が好きだ、と。
「音楽バカなところとか、ちょっとドジなところとか、全部全部好きだ」
「翔くん……」
近くに迫った春歌の目は、驚いているのか真ん丸に開かれている。
そんな表情も可愛くて、気が緩みかけた時。
「そんなにパートナーとして認めてくださるなんて……!」
「へ?」
だから性別のことも教えてくれたんですねっ、と話す春歌を見て、今度は俺が目を丸くした。
なんか、勘違いされる気が……。
「信頼されているみたいで、嬉しいです……っ」
マイペースっつーか……かなり鈍感なのか?
伝えたはずの気持ちがどこかへ行ってしまって困惑している最中、春歌は自分の鞄をあさって、一枚のCDを取り出した。
「今日はこれを渡したくて」
そしてそれを俺に差し出し、ふわりと微笑む。
「予定より少し早くなりましたが、これは唯ちゃん――いえ、翔くんのために作った曲です。受け取ってください」
曲が完成するまではまだ時間がかかりそうだから、煮詰める為にも今日打ち合わせをしようって提案してたのに。
春歌は俺の事で悩みながらも、頑張ってくれてたんだな。
「ありがとう。……やばい、すげえ嬉しい」
震えそうな手に力をいれ、両手でしっかりとCDを受け取る。
音源を流してみれば、小傍唯をイメージしたかわいい曲ではなく。
多分、男の俺を意識して作ってくれた曲なんだろうなってわかった。


翌日、再び楽屋にて。
女装姿から元の格好に戻った俺は、渋谷にこれまでの経緯を話していた。
「……というわけで、春歌に告白したんだよ。性別の事も、全部含めて」
本当は言うべきかどうか悩んだけど、この前春歌といる時に鉢合わせてしまった事を渋谷なりに申し訳なく思っていたらしいので、
心配を無くすためにも報告をする。
「へぇ、よかったじゃん」
渋谷は顔をにやけさせながら俺を見て、「で?」と続きを促してきた。
「で? っていうのは」
「そんで? 春歌は付き合ってくれるって?」
「……あっ」
「あっ、って何よ」
「付き合ってとは言わなかった」
「ナニソレ」
渋谷の表情はげっそりしたものに一転して、ため息をつかれる。
「女装のこと話すのに精一杯だったし……」
告白しても気づかずにスルーされたしな。
(そういえば、どうすればいいんだ!? メールで呼び出して……でも、改まって言うのもタイミングが……)
そんなとき、ふと視界に映ったのは春歌からもらったCD。
それを手にしたとき、ある考えが浮かんだ。
「俺、あいつに付き合ってって言うよ。ちゃんと告白する」
渋谷にそう宣言をして、俺は荷物を掴んで楽屋を飛び出した。

春歌から貰った曲は、俺が歌詞を書くことになっていた。
小傍唯として出す曲だから女子目線の歌詞がいいのかと悩んだけど、今はとにかく自分の気持ちを歌詞にぶつけたい。
曲を聴きこんで、一字一字に思いを込めて言葉を綴っていく。
メロディに乗せて、気持ちを歌ってみると、しっくりきた。
これなら、きっと。
『レコーディングルームに来てほしい』
手短に用件のみを春歌に伝えて、できたての歌詞を掴んでレコーディングルームへ向かう。
「翔くん、お待たせしました」
「おう、待ってたぜ」
春歌はちょうど手が空いていたのか、メールを送ってからすぐに来てくれた。
「春歌から貰った曲に歌詞をつけたから、聴いて欲しい」
「わかりました。楽しみですっ」
きらきらの笑顔を浮かべる春歌を見て、心臓が早鐘を打った。
……あー、緊張する。
マイクの前に立って、深呼吸。
合図を出せば、春歌は一度頷いて、曲を流した。
もう何度も聴き込んだイントロが流れ出す。
すうっと思いきり息を吸って、歌に詞を乗せていく。
この歌に、歌詞に、春歌が好きって気持ちをめいっぱい詰め込むんだ。
俺の気持ち、全部全部伝わりますように――って!

ヘッドフォンを外して、ブースから出る。
コントロールルームでは、目を輝かせた春歌が待っていた。
「とっても素敵でした! この曲なら、きっと唯ちゃん……いえ、翔くんの夢も叶います」
「当たり前だろっ。お前の音楽があるんだから」
きっと俺と春歌の二人なら、どこまででも行ける。
春歌の曲を歌っていると、そんな確信が芽生えた。
今、世間には俺の性別を隠してるけど……いつの日か絶対、本来の姿でステージに立ってやる。
「ところでさ……俺の気持ち、伝わったか?」
はい、と顔を赤らめる様子を見れば、それが嘘ではないことが分かる。
春歌の前に立ち、白くて細い、女子の手を掴む。
「好きだ。俺と付き合ってほしい」
今度はお前の口から、直接返事を聞かせてくれ。と、春歌の顔をじっと見つめる。
すると、頬を紅潮させた春歌が、俺をまっすぐに見据えて口を開いた。
「……はい!」
春歌が頷くと同時に、俺は彼女を抱きしめた。
こんなにも細いけど、内側にはとんでもねー情熱を持っている春歌。
腕の中でその肩が揺れ、おずおずと背中に手を回される気配がした。
伝わってくる体温が愛おしくて愛おしくて、たまらなくなった。

――これからよろしくな。
俺の最高の、可愛い彼女!