白い肌に赤い跡

「おい」
棗さんが咥えていた煙草を口から離し、白い煙と共にため息を吐いた。
「はい?」
少し不機嫌そうな声に、胸がざわつく。
知らないうちに気に障るようなことをしてしまったのかと思い、なんですかと聞き返してみる。
けれど返ってきたのは予想に反した言葉で、わたしは思わず目を丸くした。
「オマエ、そのスカート短すぎないか」
言われるままに自分の脚を見やる。今日履いてきたスカートはそれほど短くはないはずなので、大きく首を傾げてしまった。
「そんなに短くないと思いますけど」
スカートの裾をゆるくつまみ、元に戻す。
「これくらい普通の長さですよ」
そう言うと棗さんは面食らったような顔をしてから、煙草を灰皿に押し付けた。
「まったく、最近の若い奴は……」
ぶつぶつ小言をこぼしながらキッチンへと向かう背に、話しかける。
「棗さんだって、まだ若いじゃないですか」

棗さんは何も言わず、冷蔵庫からお茶の入ったペットボトルを取り出している。
それと同時に、部屋の隅で遊んでいたつばきが「にゃあ」と鳴いて近づいてきた。
ふわふわとした毛並みを撫でる。つばきは気持よさそうに目をつぶっていて、こちらまで微笑ましい気持ちになる。
「つばき、どうしたの?」
ゴロゴロと喉を鳴らし、つばきは不意に座っていたわたしの脚に擦り寄った。
肌に猫特有の柔らかい毛が触れ、くすぐったさに体を捩る。
「あ、ちょっと……」
つばきがわたしの脚に頭をこすりつけるうちに、スカートの中へ潜り込んでしまった。
突然視界が暗くなった事に驚いたのか、つばきは脱出しようと思い切り顔を上げている。
だけど、どれだけ顔を上げてもわたしのスカートが持ち上がるだけでなかなか抜け出せないようだ。
そっとつばきの体を持ち上げ、元通りの場所に移動させる。
その様子を見ていた棗さんが、手にしていたペットボトルを自らの足に落とした。
直後に小さな悲鳴が聞こえ、わたしは慌てて駆け寄り、棗さんの足元にしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか!?」
「ああ……」
靴下を履いているから詳しい様子は見えないけど、ペットボトルを落としてすぐにうずくまったところを見るとかなり痛かったみたいだ。
「湿布でも貼りますか?」
尋ねてみても反応がない。
声も出ないほど痛いのかと思って棗さんの顔を覗きこむと、彼はなぜかわたしの脚を凝視していた。
しばらくしてから、ようやく棗さんはわたしに顔を覗きこまれている事に気がついたらしい。
ハッとした表情になり、まるでわたしを避けるように退いた。
「だ、大丈夫だから」
棗さんは落としたペットボトルを拾い、わたしから距離をとるようにテーブルのある方向へ歩いていく。
(どうしたんだろう)
なんだか不安が募ったので、棗さんの傍へ座ろうとする。
でも棗さんはわたしが距離を詰める度に横にずれ、二人の間には謎のスペースが生まれてしまう。
……やっぱり、避けられているような気がする。
「……変です」
わたしがそう零すと、棗さんは咳払いをしてから返事をした。
「……何がだ?」
「誤魔化さないでください、棗さんのことです」
座ってから床に手をついて、体を棗さんの方向へ乗り出し、ずいっと距離を詰める。
「わたしのこと避けてます」
「そんな事は……」
言いよどむ棗さんの顔をじっくり見つめ、口を開く。
「そんな事あります! だって、さっきからわたしが近寄ると、棗さんは離れようとしますよね」
棗さんがバツが悪そうにわたしから視線を逸らす。きっと図星なのだろう。でも、どうしていきなり離れようとするのかがわからない。
――わたしとの付き合いに、飽きた? 嫌になった? そんな考えばかりが浮かんで、棗さんをまっすぐに見つめられない。
「もしかして、わたしのこと嫌いになっちゃいましたか」
視線を落として、震える声で呟く。
(今日はもう、帰った方がいいのかな……)
そう思った時、棗さんの大きな手がわたしの頭を撫でた。
俯いていた顔を上げる。棗さんは優しい瞳でわたしを見ていた。
「……バカ、俺がオマエを嫌うはずないだろ」
安心させるように何度も何度もわたしの頭を撫でてから、棗さんは言いづらそうに話を切り出した。
「ただ……」
「ただ?」
「オマエの、それ」
「スカートですか?」
指差されたスカートと棗さんの顔を交互に見る。
「ああ、やっぱり短すぎると思う」
そこまで言って、棗さんは再びわたしから視線を逸らした。
「……見てると……その、触りたくなるんだよ。下着も見えそうになるし。できるなら俺の部屋以外で履かないで欲しい、っていうより、俺の部屋でも履かれるとちょっと危ないというか」
「はあ」
てっきり他のことが原因で避けられていると思っていたから、意外な理由に素っ頓狂な返しをしてしまう。
すると、棗さんはそれが気に食わなかったようで、頭をガシガシ掻きながら顎でわたしの背後を示した。
「はあってオマエ……ちょっとそこ座れ」
言われるがまま、背後にある棗さんのベッドに腰掛ける。
「男ってのはな、単純な生き物だから。目の前にうまそうな獲物がいたら誰だってどこでだって食いたくなるんだよ。特にこの、細い脚とか」
棗さんもわたしの隣に座るのかと思いきや、彼は立ち上がらずにわたしのいる方へ体の向きを変えた。
「棗さん……?」
呼びかけるも返事はない。
代わりに棗さんはわたしの膝を掴み、わずかに脚を開かせた。
そして棗さんの顔が、わたしの内腿に近づいて――ちゅ、と音を立てて肌を吸われる。
「っ?!」
突然の刺激に体が震える。変な声が漏れてしまいそうで、必死に手で口を押さえた。
「……ふッ……」
棗さんは内腿に数箇所の赤い跡を残し、次に太ももの外側にもいくつかキスをして、最後には満足そうに笑った。
「これなら、もう当分足出すような服着れないだろ」
棗さんの言う通り、太もも全体にキスマークが点々としていて、しばらくの間は短いスカートなんて履いて出歩けそうにない。
「なっ……! ひどいです!」
「ひどくない。……まったく、我慢させられるこっちの気持ちも少しは考えろってんだ……」
反論しようとすると、まるで良い事を思いついたとでも言いたげな表情で、棗さんはわたしを見た。
「なんなら、オマエも俺につけるか?」
何をですか、と聞く前に棗さんの唇がキスマーク、と動いた。
その時になって初めて、たくさんキスマークをつけられたという実感がわき、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
恥ずかしくて恥ずかしくて、顔から火が出てしまいそうだ。
下唇を噛み締めて黙るわたしを、棗さんは上機嫌そうに見上げてから背中を向けた。
……なんとなく、悔しい。
向けられた背に軽く握った手を押し付けて、コツンとおでこをぶつける。
棗さんはそれ以上はわたしに手も出さず、ゆったりとした時間だけが過ぎていった。

  ***

棗さんがわたしの脚にキスマークをつけてから、数日が経ったある日のこと。
わたしは合鍵を使って彼の部屋を訪れていた。
(今日も前と同じ丈のスカートを履いちゃったけど、ちゃんと対策してあるから平気なはず)
この前の反省を活かし、きちんと対策を練って部屋にきたから早く棗さんに見せたい……のだけど、肝心の棗さんはどうやら残業になってしまったらしく、わたしはつばき達と遊びながら一人で待つことにした。

窓の外がすっかり暗くなり、手持ち無沙汰な時間に悩みだした頃、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま」
「おかえりなさい、おじゃましてます」
「ああ」
棗さんはわたしを一瞥した後、手を洗いに洗面所へと入っていく。
……今の様子だと、わたしがスカートを履いている事に気づいていないのだろう。
先日あれほど短いスカートを履くなと言っていたから、気づいていたならきっと何らかの反応が返ってくるはずだ。
(自分から言い出してみようかな)
勇気を出して、洗面所から戻ってきた棗さんに声を掛ける。
「あの……」
棗さんはスーツのジャケットをハンガーにかけてから、こちらを振り返った。
「スカートを履いていても、これなら大丈夫ですよね」
立ち上がって、自分の脚を指差す。
対策として履いていたのは、少し厚めのストッキング。
これなら足全体が隠れるから、下着が見えることもないし、例え痣があったとしても気にしなくて平気だ。
「せっかく買ったスカートなのに、履かないなんてもったいないですし……。それに、これを履いていればスカートが短くても下着は見えませんよね」
棗さんは何か言いたそうにしていたけれど、結局は苦笑いしながらそうだな、と頷いていた。
下着も何も見えることはないから、もう人から見える位置にキスマークをつけたり、唐突に恥ずかしくなるような事はされまい……と思っていた。
その想像は、呆気無く崩れることになる。

部屋をうろついていたつばきが、わたしの膝の上に乗りたいらしく、脚に前足を掛けてきた。
つばきの爪が太ももにゆるく食い込む。しかし肉球とストッキングの相性が悪かったらしく、つばきはわたしの膝に乗れずに滑り落ち、その拍子にストッキングに刺さったままの爪が引かれた。
「あっ」
ビリ、という小さな音がして、ストッキングに細い線が走り、破れた部分から白い肌が現れる。
そこには丁度、先日つけられたキスマークの跡が残っていた。
大急ぎでそこを手で隠してから、恐る恐る棗さんの方を見る。
棗さんは困ったように眉を寄せ、だけど口元には笑みを浮かべて、前髪をくしゃりとかき上げた。
「それは、逆効果だと思うんだが……?」
棗さんがシャツのネクタイをゆるめ、じわじわと距離を詰めてくる。
思わず立ち上がり、後ずさってから後悔をする。後ろにはベッドがあって、もうこれ以上は逃げられない。
それでもわたしは悪あがきをするように後ろへ下がったけれど、膝裏をベッドの角にぶつけ、そのまま倒れこんでしまった。
軽い衝撃に目をつむる。次に目を開けた時には、棗さんは倒れたわたしの顔の横に手をついていた。
身動きを取れなくするように両足の間に膝を割りこませ、棗さんが覆いかぶさってくる。
視界に入るのは、白い天井と、何やらスイッチの入ってしまった棗さんの、悪そうな顔だけ。

「破れたのはもう履けないだろ? 脱がせてやる」
棗さんの長い指がわたしのスカートの下に潜り込んで――そこから先は、薄ぼんやりとした記憶だけしか残っていない。