ASASのネタバレが少しあります

小さな伯爵とわたし

日差しが暖かなお昼、カミュ先輩のお家にお邪魔しています。
家主である先輩はお仕事のため不在ですが、わたしは先輩の代わりにアレキサンダーのブラッシングをしたりお掃除をしたり……と
家事をひと通り済ませてから自分の仕事を片付けていました。
「ふあ……」
窓からあったかい太陽の光が差し込んできて、ついあくびが出てしまいます。
最近ちょっと寝不足だったから、余計に眠たくて、気を抜いたら鍵盤に頭を打ちつけそう。
(ちょっとだけなら、いいかな……)
ピアノを離れてソファに寝転ぶと、猛烈な眠気が襲ってきた。
そして眠りに落ちる直前わたしは――カミュ先輩に、子供の頃の話を訊いたことをなんとなく思い出していた。


ぱちり、と目を開けると、そこは見慣れた先輩の部屋ではなかった。
壁にはめ込まれた青いステンドグラス越しには外の光が差し込んでいて、建物内を青く染めている。
室内は冷房が入っているかと思うくらい冷えていて、だけどどこかふわふわした感覚がする。
先ほどまでわたしは確かにカミュ先輩のお家にいたのに……夢を見ているのかな?
「見ない顔だな。何者だ」
明晰夢というものなのかもと考え込んでいたら、突然背後から声をかけられて、わたしは飛び上がりそうになった。
少し高めだけれど威圧感のある声音にすくみつつ振り返ると、そこにいたのはとてもとても綺麗な男の子でした。
少し伸びている髪の毛は細くてさらさらで、高級そうな洋服の裾から出ている手足は雪のように白い。
「っ! すす、すみませんっ、怪しい者ではありません、わたしも何が何だか……って、あれ?」
慌てて頭を下げてから、首を傾げる。
目の前にいる男の子とは初対面のはずなのに、懐かしい気配がします。
特に、この水晶みたいに綺麗なアイスブルーの瞳――
(もしかして、カミュ先輩……?)
変声期前なのか声は高いし、顔つきもかなり幼いけれど間違えるはずもないこの瞳。
この子は、小さい頃の先輩だ。頭のてっぺんからつま先までまじまじと見つめた時、白い肌には到底似合わないアザがあることに気づいた。
「腕のところ怪我してますけど、大丈夫ですか?」
「これくらい何とも思わん」
「どうしてこんな怪我を……」
ぽつりとつぶやくと、小さなカミュ先輩が嫌なことを思い出したように眉をひそめた。
「剣の稽古をしているときにつけられた」
「つけられたって……」
復唱すると、先輩は余計なことを口走ったと言いたげな表情になった。
先日聞いた幼少期の話と照らし合わせると、目の前にいる彼は貴族としての教育を受けている最中のはず。
子供ながら大人同然の扱いを要求され、他の貴族からは妬まれ、痛くとも辛くとも我慢をしていた時代の彼が、そこにいた。
わたしが子供のころはもっと無邪気に過ごしていたし、周囲にいる人もとってもあたたかくて、困ったことがあれば誰かが助けてくれたのに……
ここにいる先輩は、そんな当たり前のことも出来ない環境にいる。
「あの……」
辛さを堪えている男の子をそっと抱きしめる。
腕の中に収まる小さな存在は急に抱きしめられてびっくりしたのか硬直してしまった。
我に返ったように、突然何を、と身じろぎをしていたけれど、離せない。
「痛かったら痛いって、悲しかったら悲しいって、言っていいんですよ」
「……それはできない」
「どうして?」
「俺が、伯爵家の子息だからだ」
覚悟を決めている瞳に射抜かれる。
小さくてもカミュ先輩はカミュ先輩で、ちょっとやそっとのことじゃ心の氷は溶けそうにもない。
「情けない顔は見せられない。父上には、特に」
唇を噛みしめているカミュ先輩の声は少しだけ震えていた。
わたしはその小さな手をぎゅっと握って、先輩の瞳を真正面から見据えた。
「――じゃあ、わたしには見せて。他の人の分まで甘えてください。あなたが弱音を吐いても、笑いませんから」
「……おかしな奴だ。初対面の子供に向かって、そんなことを言うなんて」
ふふ、と笑う気配がして、彼の瞳がわたしを見る。
苦笑いを浮かべたその顔は、わたしの好きなカミュ先輩と同じものでした――


体を軽く揺さぶられて、ゆっくりと目を開ける。
「おい、春歌。そんなところで眠っていると風邪をひくぞ」
「カミュ、せんぱい……?」
おかえりなさい、と言うと、ただいま、と優しい声がして、胸の奥がきゅうっとなった。
「……夢の中で、小さなカミュ先輩に会っていました」
夢とはいえ、幼少期のカミュ先輩とお話をしてしまいました。
その上いきなり抱きしめるとは、なんて大胆なことをしてしまったんでしょう……!
だけど先輩は多分、子供のころから大人になるまで、大人になってからも感情を押し殺して生きてきたんだ。
立場上仕方のないことだったとしても……今はわたしがいるから大丈夫ですよ、って伝えたい。
「ほう? どんな話をしたのだ」
「ええっと……わたしには甘えてください、という話を」
もっと色んな表情を、我慢しないで見せてほしい。もっと甘えてほしい――と話している最中、カミュ先輩と視線が絡み合った。
「なるほど、甘える、とな。それで、俺がお前に甘えたら具体的には何をしてくれるんだ?」
「へっ……?」
わたしを見るカミュ先輩の瞳は、夢で見た男の子と同じ色をしている。
けれども今はイタズラな色も混ざっていて。
肩を押されて、気づいた瞬間にはついさっきまで座っていたソファの感触が背中にあたった。
「さて、今夜はどうやって甘えようか……」
楽しそうな声音と一緒に、啄むような優しいキスが降ってくる。
わたしはそのキスを受け止めながらカミュ先輩のすべてを抱きしめるように、彼の背中に手を伸ばした。