Surprise presents

5月15日の朝、春歌は恋人の寝顔を見つめていた。

合鍵を使い部屋に入ったはいいものの、恋人である龍也は昨夜遅くまで仕事をしていたらしく、疲れているようで目を覚まさない。
ご飯を作っている最中に起きるかも、と考えキッチンを借り軽い朝食を作り、再び寝室に戻ってきたが龍也は眠ったままだった。
無理に起こすわけにもいかず、かと言ってやることも特に無いので龍也の寝顔を見つめる。
その顔には数日の疲れのおかげか隈が出来ており、眉間にも皺が寄っていた。
「そろそろ出掛けなくちゃ……」
眉間の皺を伸ばしたい気持ちを抑え、時計を見ると既に午前8時を過ぎていた。
彼が起きるまでこの場にいたかったが、今日は午前中から打ち合わせがあるのでそろそろ行かなければならない。
春歌はリビングのテーブルの、サランラップを掛けた朝食の横にメモ書きを残し、龍也の部屋を出た。

***

目を覚ましてから、昨晩はアラームも掛けずに寝てしまった事を龍也は思い出していた。
「今日が休みで良かったな……」
誕生日なんだからたまには休んでチョーダイ、という社長の一言により、今日一日はオフだった。といっても、事務所に行けば仕事はあるのでいつもよりはのんびり出勤し、雑務だけでも済ませようと思っていた。
大きく伸びをしてからベッドを抜け出し、リビングのテーブルを見ると自分で用意した覚えのない朝食とメモ書きが置いてあった。龍也は首を傾げながらメモを手に取る。
「ん? 春歌が来てたのか……全然気づかなかったな」
そこには見慣れた細い文字で、
【良かったら食べてください。また後ほどメールします。お邪魔しました】
と書かれていた。
起こせばよかったのにと思ったが、きっと気を遣って寝かせたままにしてくれたのだろう。
春歌の気遣いに感謝しつつ、龍也は洗面所で顔を洗い気持ちを入れ替えるように頬を叩いた。
「とりあえず、飯食って準備して事務所行くか!」
用意された朝食をおいしく頂いてからスーツに腕を通し、龍也は事務所へと向かっていった。

その日の午後。雑務も殆ど片付いたところで携帯を見ると、メールの受信を告げるランプが点滅していた。
片手にコーヒーを持ち、きっと春歌からのものだと期待しながら受信ボックスを開く。しかし差出人はまったく別の人物であった。
「神宮寺からか。珍しいな」
差出人は後輩のレンであった。今日は確かトキヤと翔と三人で雑誌の取材を受けるはずだが、何か問題でも起きたのだろうか。
それならば早く対応しなければ、と急いでメールを開き、そこで龍也は飲んでいたコーヒーをふきだしそうになってしまった。
『件名:無題
本文:やあ、リューヤさん。事務仕事は片付いたかな?
さっきレディと会ったんだけど、あまりの可愛さにうっかりお持ち帰りしてしまったよ。
レディの部屋は女の子らしくて素敵だね』
仕事の問題でも何でもない、煽りともとれるメールは龍也の頭を混乱させるには十分な内容だった。
「何だこれ……」
メールを読む限り春歌は自分の部屋にレンを招いている。どういった経緯でレンと一緒にいるのか確認するため、急いで春歌に電話を掛けるが、中々繋がらない。
大丈夫だ、きっと春歌は神宮寺とお茶でも飲んでいるだけだ。何事も無いし、何かあってはならない。
そう考えを整理するも心の中を暗雲がもやもやと広がっていく。
龍也は居てもたっても居られず身の回りを片付けて事務所を飛び出した。

***

息を切らせながら走り、春歌の部屋に到着する。鬼気迫る表情でインターホンを押してきっかり10秒後、鍵が開き、次いでドアも開かれた。
だが、そこにいたのは部屋の主でもメールを送ってきた本人でも無かった。
「お! 日向先生、いらっしゃい!」
「いらっしゃいってお前……なんでここにいるんだ」
ドアから顔を覗かせたのは翔だった。部屋を間違えたかと表札を見るがそこには七海と書かれており、そもそも自分の恋人の部屋を間違えるはずもない。
思わず立ちすくんでいると翔の後ろからトキヤが顔を覗かせた。
「七海君は今キッチンから離れられないんですよ。私が言うのも何ですが、どうぞ上がってください」
「あ、ああ」
ここは春歌の部屋のはずなのになぜか後輩達がいて、自分を部屋に入るよう促している。
レンからのメールに続き頭を悩ませながら、龍也は春歌の部屋へと足を踏み入れた。

足を踏み入れた先は、パーティ会場だった。
壁や天井からは飾り付けがきらきらと揺れていて、テーブルの上には美味しそうな料理が並んでいた。
「これは一体……」
「今日はリューヤさんの誕生日だろう?」
室内の様子を唖然と見ていたところ、龍也をこの場に駆けつけさせた張本人が皿を片手に歩いてきた。
レンはテーブルに皿を置いてから肩をすくめる。
「イッチーとおチビちゃんと一緒の仕事だったんだけど、急遽明日に延期されてね。今日の予定も無くなったしどうしようって話してたら偶然レディと会って、リューヤさんの誕生会を開こうって話になったのさ」
さっきのメールはほんのイタズラ心だから安心してよ、とウインクを貰い、龍也は眉間を抑えた。
イタズラで良かったという安堵した気持ちと、純粋に腹が立つ気持ちが混ざり複雑な表情を浮かべてしまう。
そんな龍也に声を掛けたのが、ようやくキッチンから出て来た春歌だった。
「あ、りゅ……日向先生!」
名前で呼びそうになった口をハッとした顔で抑え、丁寧にいつも外でしてるように言い直した春歌は、龍也の横にとことこと歩いて行き頭を下げた。
「すみません、電話もらったのに出られなくて」
「いや、それはいいんだが」
電話に出られなかったのはきっと料理をしている最中だったからだろうと、春歌が身に着けているエプロンから察することが出来た。
けれども、龍也からしてみれば問題は電話に出なかったことではない。
なぜ、年頃の女の部屋に男が上がり込んでいるのかが問題であった。
龍也の気持ちもつゆ知らず、春歌はにこにこ笑いながら話しかける。
「もう少しで料理が出来上がるので、座って待っていてください」
「……ちょっと来い」
椅子に座らせようと誘う腕を掴み、春歌を別室へ連れ込む。
部屋に残された三人は一瞬ぽかんとした後、顔を見合わせて誕生会の準備を進めた。

「同僚だからって簡単に男を部屋に上げるんじゃない」
春歌を別室へ連れ込み、開口一番に警告する。
「ご、ごめんなさい」
龍也の勢いに圧され、春歌は萎縮しながら眉を下げた。
「考えが浅はかでした……そうですよね、皆さんアイドルですしゴシップ誌にでも取り上げられたら」
「違う、お前の身を心配してるんだ」
事務所の寮にいる限りはゴシップ誌などに取り上げられるはずもないし、龍也の目の黒いうちはそんなことがあってももみ消すだろう。
それよりも、相手の事を心配する前に自分の事を心配しろと言いたくなる。
レン達は同僚だから警戒心が薄れているのだろうが、年頃の男女が密室にこもるなど言語道断である。
以前から春歌の隙の多さには目を見張ることが多かったので、今言っておかねばならないと龍也は心を鬼にして口を開いた。
「あいつらだって男だし、万が一何かあったらお前抵抗出来るのか? 俺がいなくても自分の身を守れんのか?」
春歌をドアに押し付ける。
掴んだ手首は、強い力を加えたらすぐにでも折れてしまいそうなほどひ弱に見えた。
春歌は怒りを露わにする龍也を見上げ、考え込むように目をそらすと、もう一度ゆっくり見据えてから項垂れる。
「ごめんなさい、今後は気をつけます。それと、あの……」
「なんだ?」
「勘違いでしたら申し訳ないのですが、もしかして……やきもち、焼いてくれてるんですか?」
「…………」
そう言われて龍也は目を見開く。
春歌の言う通り、無意識のうちに嫉妬していた。更にそれを見抜かれるほど龍也には余裕が無かったようだ。
大人げなくやきもちを焼いた上、恋人をドアに押しつけている自分を情けないと感じ、今度は龍也が春歌から目をそらす。
そんな龍也を安心させるように、春歌は顔を綻ばせた。
「大丈夫です。わたしには、龍也さんだけですから」
「春歌……」
龍也が春歌の顔を申し訳なさそうにのぞき込む。
春歌もそれに答え、優しさに満ちた瞳で龍也の瞳を見つめ返す。
そして自然とお互いの顔が近づき、唇が触れる寸前、ドアの向こうから彼女を呼ぶ声がした。
「おーい七海ー! 鍋が吹き零れそうなんだけどどうするー?」
「あ、はい! 今行きます! ……すみません、ひとまず戻りますね」
「ああ」
名残惜しそうに互いの身を離す。龍也が数歩下がると、春歌はドアに向き合い部屋を出ようとした。が、ドアノブに手を掛け少し逡巡するとくるりと振り返り、
「龍也さん、お誕生日おめでとうございます」
龍也の頬に口づけをして微笑んだ。

キッチンへ戻る春歌の背を見届けたあと、龍也はしばらくその場に立ったままでいた。
「不意打ちは反則だろ……」
直前まで至近距離に顔があったにも関わらず、不意打ちで来られると心臓に悪い。
キスには慣れているはずだったが、先程の感触を思い出すと年甲斐もなく赤面する。
春歌はいつの間にあんな技を覚えたんだろう、と自分に問いかけるも答えは見つからない。
唇が当たった部分を指先でなぞる。そこは驚くほど熱くなっていた。

熱くなった頬が落ち着いた頃、今度は自分を呼ぶ声が聞こえてきたので、龍也は四人が待つ部屋へと歩いて行った。