スイート・バースデー

「翔くん、お誕生日おめでとうございます」
「ああ、サンキュ!」
グラスをカチリと重ね、乾杯をする。翔と春歌の前には小さなホールケーキが置いてあり、大小の蝋燭が翔の年齢の数だけ火を灯していた。
翔が大きく息を吸い込み、蝋燭の火を消す。火は一気に消え、室内は窓から入る月明かりで照らされた。
「電気つけてくるね」
壁にある電気のスイッチを押す為に、春歌が椅子から立ち上がる。それに気づいた翔が、「気をつけろよ」と言った途端、春歌はテーブルの足に自分の足をぶつけた。
「痛っ」
「お、おい……大丈夫か?」
不安そうな声を背に、春歌はなんとか壁際に辿りつき電気をつけ、
「大丈夫です!」
と室内灯がつくと共に元気よく返事をした。
一方の翔は安堵の表情を浮かべてから軽く口を尖らせた。
「危なっかしい奴……。呼んでくれれば一緒についていったのに」
「ただ電気を付けるだけなのに大げさだよ。わたしだって周りが暗くなってても電気くらいつけられるし。……確かに、足はぶつけちゃったけど」
そんなことを言いながら春歌は席につく。テーブルの上にはケーキの他に小皿とフォーク、それからケーキナイフが置いてあり、春歌はナイフを手に持つとケーキを手際よく切り分けていく。
「大きな苺が乗っている方は、翔くんの分にしましょう」
「いいのか? ありがとな」
「今日の主役は翔くんですから」
それを聞いた翔は何故だかそわそわと体を揺らし、春歌の顔色を伺った。
「……あ、じゃあさ。一個だけわがまま言ってもいいか?」
「なんですか?」
「ケーキ食べさせてくれ」
「えっ」
衝撃的なお願いだったのか、春歌の動きが止まる。翔は慌てて手を振り、前言撤回といたずらっ子のような顔で笑った。
「あっ、やっぱりいい! 冗談、冗談だから」
「いえ、ぜひやらせてください!」
春歌は少し緊張した面持ちでフォークを握り、ケーキに刺す。
「えっ……いいのか?」
「うん! ちょっと緊張するけど……。上に乗ってる苺は、先に食べる? それとも最後にする?」
まさか本当にやってくれるとは思わず、翔はドギマギしながら頷いた。
「どっちでも……いいよ」
「わかりました」
震える手で握ったフォークを近づけられる。翔がなんとなく不安そうにしていたら、緊張した春歌の手元が狂い翔の鼻にケーキがぶつかった。 ケーキの甘い匂いが鼻に充満し、翔は情けない声を上げた。
「へぶっ」
「ああっ、ごめんなさい! 翔くんの鼻にクリームが……今拭きますね」
春歌がティッシュを片手に翔に近づく。真剣な顔で正面から見つめられ、翔が気恥ずかしそうに視線をずらしたとき、インターホンが鳴った。
春歌と二人、目を見合わせ首を傾ける。今日は春歌以外の人が来る予定は無かったはずだが、一体誰が来たのだろう。
翔は足音も静かに玄関に近づき、鍵を外す。ドアノブに手を掛けようとして、鍵が開いた音に気づいた来訪者が勢い良くドアを開けた。
「翔ちゃんお誕生日おめでとう!」
呆気にとられている翔に満面の笑みで話しかけたのは、薫だった。

***

「メールなり電話なりしてから来いよ。来るって知ってれば色々準備出来たのに……」
「サプライズだよ、サプライズ。あ、これプレゼントね」
「薫くん、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、春歌さん。これからも翔ちゃんをよろしくね」
薫が一人増えただけで、室内が余計に騒がしくなった。
わいわいと会話する薫と春歌を横目に、翔は春歌にケーキを食べさせてもらう機会を逃したことに、気づかれないようにこっそり拗ねていた。
「……小姑かよ……」
「何か言った?」
「いや、なんにも?」
薫が耳ざとく探ってくるのを交わし、頭の後ろで両手を組む。
ついでに口笛を吹いて何事も無かったように誤魔化していると、薫が自分の鞄を漁り携帯を取り出した。
「そういえば、翔ちゃんの部屋についたら電話しろって言われたんだよね」
言いつつ、片手で携帯を操作しどこかへ電話を掛け始めた。何回かコールが鳴ったあと、無事相手が電話に出たのか顔を輝かせた。
「あ、もしもし? 僕だよ。うん、翔ちゃんもいるから電話代わるね」
はい、と携帯を手渡され、翔は困惑しながら携帯を耳に当てる。
「もしもし」
『あ、翔くん? 父さんです。お誕生日おめでとう。これからも元気にお仕事頑張ってね。じゃあ次、はい』
電話の向こうにいたのは翔の父親だった。しかし、短い言葉を投げてから電話機を誰かに渡したようで、翔が話しかける前に電話口でガサガサとノイズが鳴った。
「ちょ……」
こっちからも何か言わせろ、と翔がツッコミを入れようとしたところ、先程の物静かな父親の声とは違い、電話口から耳を離しても聴こえるような音量で声が飛んできた。
『息子よ! 元気にしているか?』
耳鳴りがしそうなほど大きな声で話しかけるのは母親だった。
「……おかげさまで」
『ところでそこに翔の彼女はいるのか?』
話が飛びすぎだし、久しぶりに話す息子にもっと他に言うことがあるんじゃないのか、と言う気力も出ない。
相変わらずお袋は自由奔放で、ついていくのが精一杯だ。
「いるけど」
答えながら、春歌をちらりと見やる。春歌は電話をする翔を薫と共に見守っていた。
『代わってくれ』
「……お袋が、代わって欲しいって」
「ええっ、わたしでいいのかな……」
困惑する春歌に、翔も戸惑いながら携帯を渡す。一体おふくろは春歌と何を話すつもりなんだろう。
変なことを言わなければいいが、と不安になり冷や汗が出そうになる。
「こ、こんにちは……七海春歌と申します。……はい。……はいっ、あの、ありがとうございます!」
電話を受け取った春歌はしきりに頷いていて、向こうが何を話しているのかは翔には分からなかった。

「では、翔くんに代わりますね」
やがて母親と話し終えたらしい春歌がそう言って、春歌が翔の方を見て携帯を差し出してきた。
戻ってきた携帯をもう一度耳に当てると、母親が嬉しそうな声色で話しかけてくる。
どうやら春歌のことを気に入ったらしい。
『いい子じゃないか、翔にはもったいないんじゃないか?』
「わかってるよ、そんなこと」
『ははっ、もっと大きな男になれよ。もちろん身体的な意味でもな』
「わかってるよ!」
余計なお世話だ、と多少突っぱねるがまったく怯まない。さすがお袋だ、と翔は感心した。
『そうか! ……お誕生日おめでとう、翔』
「……ああ。ありがとう」
電話を切り、携帯を薫に返して苦笑する。
「……相変わらずだな」
「でしょう?」
「つーか、家に二人揃ってるなら俺も呼べばよかったのに」
「お母さん達なりに気を使ったんじゃない?」
薫はなぜか苦笑し、翔と春歌を見つめた。どういう意味だろう、と怪訝な顔をするが薫は特に答えず、鞄に携帯を戻していた。
「じゃあ、渡すもの渡したし帰るね」
「えっ、もう帰っちゃうんですか?」
驚く春歌に微笑んで、薫が椅子から立ち上がる。
「うん、お楽しみ中だったみたいだし」
誤解を招くような言い方をされ、翔と春歌は呼吸を合わせたように同じタイミングで顔を赤くした。
薫はそんな二人を見て吹き出しそうになるのを堪え手を振る。
「じゃあね。お誕生日おめでとう、翔ちゃん。鼻の頭にクリームついてるよ」
「あっ……くそ、忘れてた……。じゃあな、薫もおめでとう」
翔が慌てて鼻を隠すが、思えば薫がこの部屋に来た時から鼻にはクリームがついていたはずだ。
どうせなら顔を合わせた時に言ってくれればすぐさま拭いていたのに……と後悔をする。
薫なりに気遣ってくれたのだろうか、それともわざと黙っていたのかは分からない。
複雑な感情になりながら、それでも薫を祝い春歌と共にその背を見送った。

***

「嵐が過ぎ去ったな……」
「でも、薫くんや翔くんのお母さんとお話できて楽しかったです」
急にきた嵐に多少疲れの色を滲ませながら言う翔の鼻を、春歌が真剣な表情で拭く。
時間を置いてしまったのでクリームが固まってしまったかと心配したが、ウエットティッシュで拭いてくれたので簡単にクリームが落ち、事なきを得た。
(なんか子供みたいだな、俺……)
内心嘆きながら、それでも春歌に世話を焼いて貰えたことが少しだけ嬉しかった。いつもは翔が春歌や、春歌だけではなく那月達の面倒を見る側に付いていたから新鮮な気分になる。

……誕生日くらいは、甘えてみるのもいいのかもしれない。

などと考え事をしていたら、春歌が真剣な表情を崩してにこにことした笑みで翔を見る。
「いつか翔くんのご両親にも会ってみたいな」
「ああ、多分お袋達も会いたがってると思う。……さて、気を取り直してケーキ食うか!」
「はいっ。あ、翔くん、こっち向いて」
「なに……っ」

問いかける前に春歌が翔の肩を緩く掴み、顔を近づけ翔の唇に自分の唇を重ねた。
春歌の甘い香りが翔の鼻腔をくすぐり思考が麻痺し、予想だにしなかった行動に翔は思考だけでなく動きも止める。

春歌は身を離してから、照れながらも花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
「改めて、誕生日おめでとう。翔くん!」