拍手ログ

◆ふとした瞬間に触れ合った指先/林春


「月宮先生、この前撮った写真なんですが……」
「ん? どれどれ」
先日小旅行をした時に持っていったデジカメを片手に、春歌が俺を手招きする。
俺は春歌の後ろに回り込み、彼女の操作するデジカメを覗きこんだ。
「うわ、この写真の俺ひどい顔してるなぁ」
写真をスライドさせていくうちに出て来たのは、水鉄砲を片手に好戦的な表情を浮かべる俺の写真だった。

これは確か、春歌と二人、旅行先の浜辺を歩いていたときのものだ。
せっかく恋人らしく手を繋いで浜辺でデートしていたのに、名前も知らない地元の子ども達が急に俺達に絡み始めて、
挙句の果てに水鉄砲で攻撃してきたんだっけ。
いい雰囲気を邪魔されてカチンときた俺は、子ども達から水鉄砲を奪ってやり返して……
彼女が傍にいるというのに、あれはちょっと大人気なかったかな。

今になって恥ずかしくなってしまって、俺は春歌の手からデジカメを取り上げてデータを消去しようとした。
が、その手は春歌に阻まれた。
「でも、この時の月宮先生、とても楽しそうでしたよ」
嬉しそうに笑う春歌。そんな彼女を見ていると、何故だか――

少しだけ、ほんの少しだけ困らせたくなる。

「ねぇ、春歌」 春歌の耳元に唇を寄せ、囁く。
唇が彼女の耳に触れそうで触れない距離にあるのは、わざとだ。

「さっきから月宮先生、月宮先生って……俺の名前、忘れちゃったの?」
「っ……そういうわけでは、」
「そう。なら、二人きりなんだし名前で呼んで欲しいな」
春歌は俺の様子を伺い、冗談で言っているわけではないのだと察したようで、おずおずと俺の名前を呼んだ。
ただ呼ぶだけじゃなく、上目遣いというオプションも無意識のうちにつけて。
「……林檎、さん」
「……ッ」
自分がそう呼ぶように仕向けたはずなのに、彼女に名前を呼ばれるだけでこんなにも胸が高鳴るなんて。
しかも、上目遣いでちょっとだけ困ったように眉を寄せていて、その表情は何よりも可愛らしくて、頬に血液が一気に集中した。

赤くなった顔を反射的に隠そうとし――俺はうっかり、デジカメを手から滑り落としそうになる。
「危ない……っ」
春歌が間一髪、俺の手ごとデジカメを掴んだから落とさずには済んだけれど。

ふとした瞬間に触れ合った指先は、俺の頬を余計に赤く染めた。


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◆不意打ちのキス/トキ春


社長から雑用を押し付けられた私と春歌は、事務所内の倉庫にいた。
「まったく……何故私達がこんなことを」
ぼやきながら、備品が詰まったダンボールを持ち上げる。

何でも、収録で使う備品を整理して欲しいそうで。
事務所で偶然居合わせた私達を見た社長に『暇ならやっといてくだサーイ』と無理やり倉庫に押し込められたのです。

「社長の頼み事ですから……。もう少しで終わりますし、頑張りましょう」
ため息をつく私を宥めるように、春歌が握り拳を作りにっこり笑う。

……その笑顔でそう言われてしまうと、どんなに面倒なことでもやる気が出てしまいますね。
私は小さく笑い、倉庫内に散らばっている備品をダンボールに詰めていく。
「では、早く終わらせてしまいましょう」
その後ご飯でも食べにいきましょうか、と誘うと春歌は元気よく返事をし、
「はい! ――痛っ」
直後、小さな悲鳴が私の耳に飛び込んできた。

「どうしました!?」
「すみません、ちょっと指を挟んでしまって」
慌てて駆け寄り、びっくりしただけで大したことはないですと言いはる春歌の手を取る。
「大したことないはずがないでしょう。君の指は、何ものにも代えがたいんですよ」
挟んだであろう指先は、確かに大怪我はしていなさそうだが少し赤くなっていた。
「すぐに冷やさないと……」
「あの、本当に大丈夫ですっ。これくらいなら放っておいても支障は――」
「何を言っているんですか? 早くこちらへ来なさい」
私は春歌と共に倉庫を飛び出して、給湯室に駆け込んだ。

給湯室にある水道で春歌の指を冷やしながら、私は彼女を叱るように眉を寄せた。
「本当に、気をつけてください。君にもしものことがあったら、私はどうすればいいんですか」
「……ごめんなさい、気をつけます」
「……分かればいいんです」
しょんぼりと肩を落とす彼女の指に口付ける。
直前まで冷やしていた指先はひんやりしていたが、赤みは引いていなかった。

後で湿布を貼ろうと考えていると、春歌の唇から声が漏れていることに気づいた。
「……ぅ」
どうやら私が指先に口付けたことが恥ずかしいらしく、春歌は頬を染めながら私と目を合わせぬよう横を向いている。

私の中で、悪戯心が顔を出したのはその時だった。

「おや、こんなところも赤くなっていますね」
春歌の頬に手を這わす。落としていた肩をびくりと震わせ、春歌の頬は一層赤くなった。
「頬もどこかにぶつけたのですか?」
尋ねると、春歌は顔を横にぶんぶんと振った。

ええ、もちろんぶつけたわけではないのは承知しています。
春歌が今のように顔を赤くするのは、大抵私が愛の言葉を囁いた時と、私が不意打ちで触れた時ですから。

口内で「可愛い人ですね」と呟いて――私は、春歌の頬にそっとキスを落とした。


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◆抱き締めたい/真春


ハルの姿を見るたびに常々、抱き締めたいという衝動が胸の内を駆け巡るが、急にそんなことをしてもハルは戸惑ってしまうだろう。
男女の交際をしているとはいえ、彼女に触れるタイミングを測るのはとても難しい。
今日も今日とて、隣にハルが座っているというのに俺は何も出来ずにいた。

隣にいるハルは、先程からずっと膝の上に乗せた楽譜と睨み合っていた。
『真斗くんのとなりにいると、お仕事がとっても捗るんですっ』
そう言って、早一時間ほど経っただろうか。
たまの休日。隣にいられればそれで良いと思い、俺もハルの横で台本を読むことにしたが、
こうも会話が無いと……少し、物足りないような。

「ハル」
「なんですか?」
何気なしに名前を呼んでみる。首を傾げながらこちらに顔を向けたハルの、何と愛らしいことだろう。
ああ、抱き締めたい。
そう思ったのも束の間、その愛らしい顔の眉間には、到底似合わないような皺の跡が刻まれていることに気がついた。
「眉間に皺の跡が……」
俺がそう言うと、「えっ」と小さな驚き声を上げて、ハルは自らの眉間の皺を伸ばすように額に手を当てた。 そのまま、愛らしい指先で必死に皺を伸ばす。
「皺、残ってませんか?」
ハルの顔を見つめると、確かに眉間の皺は消えていた。しかし……と俺の中で良心と邪な気持ちがせめぎ合う。

今だ、今なら「まだ残っているぞ」とでも言ってハルの額に触れることが出来る――いや、そんな不埒なことをハルにしていいのか?
いくらハルに触れたいからといって、嘘をついてまで……でも、これは良いチャンスなのだろうか。しかし、いや、と良心と邪心が交互に顔を出す。

――落ち着け、落ち着くのだ聖川真斗。愛しい恋人に嘘をつくことなど、お前には出来ないはずだ。

俺は深く息を吸って吐いて、ハルの顔を改めて見据えた。
「あ、ああ」
ここは気持ちを抑えて、素直に「残っていないぞ」と言う……つもりが、俺の口からはまったく別の言葉が飛び出してきた。

「だ、抱き締めてもいいだろうか」

しまった! と思った時にはもう遅い。俺は思わず口元で手を覆った。
眉間の皺が、などというより本当の本心がうっかり口を滑って出てしまった。

引かれてはいないだろうか、と恐る恐るハルの表情を確認すると、彼女はきょとんとした表情を浮かべ――ゆっくりと破顔した。