瑛二が地方ロケに行ってしまい……。

夜空

冬の夜気が身を包むある日。
七海春歌が密かに交際をしている相手、鳳瑛二が地方ロケへ出発してから数日が経過していた。
(瑛二さんが帰ってくるまで、あと一週間……)
仕事で会えないなど同じ都内にいてもしょっちゅうあることなのに、普段以上に寂しく思えるのは、彼が他県にいるからだろうか。
春歌はその寂しさを紛らわせる為、彼に向けて作っている曲の譜面を取り出した。
瑛二の魅力を最大限引き出せるよう、音域の再チェックやコード進行の確認を行っていく。
ところが、春歌の手はすぐに止まってしまった。
(うーん、難しい……本人の声を聴けば、もっとイメージが湧くかな?)
途中の展開に悩んでしまい、気分転換に先日録画したばかりの瑛二の出演番組を再生しようとしたその時だった。

テーブルの上に乗せたままだった携帯が震え、着信を告げる音が鳴り響く。
画面を見やると、そこには恋しい彼の名前が表示されていた。
「瑛二さん……!」
春歌は慌てて携帯を手に取り、通話のマークを押す。
『遅くにごめんね。今電話しても大丈夫だった?』
「はいっ、お電話嬉しいです」
聞こえる彼の声音は電話を通しているせいか少しくぐもっている。
けれども録画でも録音でもない新鮮な声なのだと思えば、無性に嬉しくなった。
「そちらはどんな状況ですか?」
『かなり寒いよ。昨晩は皆でひっついて寝ちゃったぐらいで……』
「ふふ、風邪には気をつけてくださいね」
『もちろん。帰った時に喉を痛めて、七海さんの曲をうまく歌えなくなったら嫌だから』
七海さん、と呼ばれ、彼が部屋に一人ではない事を知る。
傍にスタッフか誰かがいるのかもしれない。
二人きりの時に「春歌さん」と呼んでくる声が恋しくて、心細さが募るけれども。
(……名前で呼んで欲しいなんて、贅沢なことを言ってはだめですよね)
春歌は気づかれないようにそっとため息を吐き、気分転換に部屋の窓を開けた。
「今、換気の為に窓を開けたのですが、今晩はこちらも冷え込んでます……!」
同時に冷たい空気が流れてきて、丁寧に実況中継をすると、瑛二がくすくすと笑う声が聞こえた。
『そうなんだ。七海さんもちゃんと暖かくしてね』
冬の夜風は頭の中をすっきりとさせ、寂しい気持ちを振り払ってくれる。
(それにしても、今夜は星がとても綺麗です……っ)
都会にしては珍しい星空を見上げ、通話相手にもこの風景を見て欲しかったと考えていると、
『七海さん? どうしたの?』
口を閉ざしたことを不思議に思ったらしく、瑛二が電話越しに首を傾げる気配がした。
「いえ、なんでもありません……! それより次の新曲ですが、取り入れたい要素などはありますか? 音源の話でも歌詞の話でも、なんでも教えてください」
あまり親密すぎる会話は避けた方が良いかと話題を振ると、春歌の問いかけに瑛二がそうだなぁ、と考え込む気配がして、それからいくつかの返答があった。
「――なるほど。それでは、意見を貰った方向性で新曲のブラッシュアップをしてみますね。鳳さんが帰ってくる頃には完成するかと思います」
『うん、楽しみにしてる。……そうだ。あとで俺が今見てる景色の写真を送るね。もしかしたら曲作りの参考になるかも』
(参考に……?)
何を送るのか尋ねてみようか悩んでいる間に、電話の向こうから「鳳さーん!」と瑛二を呼ぶ声がした。
『ごめん、スタッフさんに呼ばれちゃったから戻るね。それじゃあそっちに戻ったら、また打ち合わせをお願いします』
「は、はい! 忙しいのにありがとうございました!」
おやすみなさいと挨拶をすると、瑛二が周囲に聞こえないように声を潜めた。
『おやすみなさい、……春歌さん』
「……!」
通話が終了するのと、春歌が動揺で携帯を取り落しそうになったタイミングが重なる。
(さっきまでは名字で呼んでいたのに、びっくりです……!)
名前で呼んで欲しいと願ったはずなのに、いざその時が来ると気恥ずかしさが襲ってくる。
春歌はその場にしゃがみ込み、紅潮した頬を両手で隠した。

外から入る風が熱くなった頬を程よく冷ましてくれた頃、携帯がもう一度震えた。
瑛二の『写真を送るね』という発言を思い出してすぐに確認すると、そこには見事な夜空が映し出されていた。
「わぁ、綺麗な星空……」
電話をしながら、彼も同じく夜空を眺めていたのだと思うと、心までもが繋がっている気がして嬉しくなる。
(……確かに曲作りの参考になるなぁ、イメージがどんどん広がっていく)
星のように明るく煌めく曲を、彼の為に作りたい。
そんな感情が胸に押し寄せ、春歌はそれから夢中になって作業に取り掛かったのだった。